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早稲田柳右衛門

日本の政治家 (1900-1984) ウィキペディアから

早稲田柳右衛門
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早稲田 柳右衛門(早稻田 柳右エ門[1]、わせだ りゅうえもん、1900年2月25日 - 1984年4月15日[2])は、日本の政治家。位階は正三位衆議院議員(12期)を歴任した。

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早稲田柳右衛門

略歴

愛知県小牧市出身。享栄商業学校卒業。1929年、瀬戸市会議員となる。

1946年、第22回衆議院議員総選挙愛知県第1区から日本進歩党公認で立候補し初当選。1947年、第23回衆議院議員総選挙旧愛知2区から民主党公認で立候補し再選。

1954年、保全経済会の顧問に就任していたため、保全経済会事件に関して、衆議院議員の平野力三東洋大学教授の松本信次とともに証人喚問される。

1955年、第2次鳩山一郎内閣郵政政務次官。1960年、自民党愛知県連の初代会長に就任[2][3]。13年間務める[2]。1970年、勲一等瑞宝章を受章。1975年、勲一等旭日大綬章を受章。1976年、第34回衆議院議員総選挙には立候補せず政界引退した。

1984年4月15日、死去。84歳没。同月17日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正三位に叙された[1]。なお。瀬戸市で合同市民葬が行われた。

その他

  • 毎年、「故・早稲田柳右エ門先生を偲ぶ会」が開かれている

元秘書

脚注

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