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月岡村
日本の富山県中新川郡にあった村 ウィキペディアから
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沿革
村役場の変遷
1889年(明治22年)の開村当時は、開発村288番地の栗山九平村長宅(旧戸長役場)に設けられていたが、同年8月1日午前2時30分の火事で焼失した[6]。これ以降は開発村150番地の中野明慧宅(法輪寺)を借りて仮役場とした。これを機に村内中央の月岡新村432番地の岡城ヤイ宅を本役場にしたいと、富山県知事宛に請願書が提出された[7]。
1891年(明治24年)6月、月岡新村字壇割125番地に村役場を新築する事が決まるも、同年10月19日の大風で、新築工事中の役場、小学校共々破壊されたため、修繕した[7]。1895年7月31日、この建物を70円で売却し、小学校の一部を借り受けて村役場とした[7]。後に小学校の児童が多くなったため、1898年(明治31年)3月30日、小学校校舎南西部に建坪33坪5合の村役場庁舎が新築された[7]。1911年(明治44年)4月、小学校新築のため村役場を仮校舎に充て、上千俵村884番地の中山作次郎宅を借り受け仮役場とした。1912年(明治45年)2月29日の校舎新築落成によって、役場を校舎の北方、上千俵村字紋兵衛割854番地に移転した[7]。
1926年(大正15年)9月10日、旧村役場と同地に2階建敷地24坪余の村役場庁舎を建てた。さらに1953年(昭和28年)10月6日、上千俵字紋兵衛割895番地に小学校校舎の一部(後のプール辺り)をもって新築した。この時の庁舎は本館2階建て165坪、渡り廊下4坪、雑庫6 - 25坪、便所1.5坪、自転車置場4坪の計180.7坪であった[5]。この建物は現在のセンターが1983年(昭和58年)4月に竣工するまで使用された[8]。
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歴代村長
出典→[9]
- 栗山九平(1889年5月15日 - 1889年10月4日)
- 中土金太郎(1890年3月16日 - 1904年3月25日)
- 笹岡金之助(1904年5月29日 - 1911年10月20日)
- 橋本永次郎(1911年11月24日 - 1916年9月15日)
- 久保銀之助(1916年9月25日 - 1920年1月10日)
- 中土仲太郎(1920年6月1日 - 1922年4月15日)
- 久保銀之助(1922年5月19日 - 1926年5月18日)
- 中土政之助(1926年6月8日 - 1928年1月17日)
- 栗山武(1928年5月1日 - 1932年4月30日)
- 高柳喜三次(1932年6月14日 - 1933年4月10日)
- 谷口弥一郎(1933年4月11日 - 1937年4月10日)
- 中島正義(1937年4月17日 - 1945年4月20日)
- 大塚庄十郎(1945年5月4日 - 1946年12月5日)
- 荒川清治(1947年4月5日 - 1951年4月4日)
- 栗林久米(1951年4月23日 - 1955年3月31日)
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
脚注
関連項目
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