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月野木正雄
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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月野木 正雄(つきのき まさお、1888年(明治21年)11月17日[1] - 1972年(昭和47年)4月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]
経歴
鹿児島県[1]出水郡、のちの出水市で生まれた[3]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月に独立山砲兵第3連隊長に就任し[2]、1937年(昭和12年)8月2日に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。盧溝橋事件発生後に戦線が拡大する中、日中戦争に出動[1]。1938年(昭和13年)7月に近衛野砲兵連隊長に転じ[2]、8月に南寧に出動した[2]。
1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級と同時に第13軍兵器部長に就任し[1][2]、1942年(昭和17年)10月に長崎要塞司令官に転じた[1]。1945年(昭和20年)4月1日に西部軍管区司令部附となり[4]、4月30日に待命[5]、5月1日に予備役に編入された[1]。
脚注
参考文献
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