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有栖川宮韶仁親王

日本の江戸時代の皇族。有栖川宮7代。二品、中務卿、上総太守 ウィキペディアから

有栖川宮韶仁親王
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有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみや つなひとしんのう)は、江戸時代皇族世襲親王家有栖川宮第7代当主。

概要 有栖川宮韶仁親王, 続柄 ...

生涯

父は有栖川宮織仁親王霊元天皇皇孫)。母は家女房。幼名は若宮。妹に楽宮喬子女王登美宮吉子女王がいる。徳川慶喜の母方の伯父にあたる。

文化4年(1807年)12月に光格天皇猶子となり、翌文化5年(1808年)3月に親王宣下。同年5月元服し、三品に叙され、上総太守となる。文化9年(1812年)2月、父・織仁親王の落飾により有栖川宮を相続し、中務卿となった。文政5年(1822年)3月、二品。弘化2年薨去。死に際して一品に叙された。

家系

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韶仁親王妃宣子女王の肖像
  • 妃:閑院宮美仁親王の五女・宣子女王
    • 第2王女:游亀宮(1821年 - 1823年)
    • 第3王女:実種宮(1822年 - 1823年)
    • 第4王女:韶子女王(1825年 - 1913年) - 徳川家慶の養女(「精姫」を名乗る)、後有馬頼咸正室[1]
  • 家女房:円明院(豊島勝子、実は島岡造酒女)

参考文献

  • 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年)

脚注

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