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ハングル専用文と漢字ハングル混じり文

朝鮮語を漢字とハングルを混用して表記すること ウィキペディアから

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ハングル専用文と漢字ハングル混じり文(ハングルせんようぶんとかんじハングルまじりぶん)では、韓国語を表記する際に、 ハングルのみとするか、漢字(ハンチャ)を混用するかについて述べる。また、これらとしばしば同様に議論させる、日韓併合前にあった漢字至上主義[1]と相対する戦後の韓国語における言語純化運動についても述べる。

概要

ハングルを専用する文章や、その主張は、韓国では主に「한글전용(-專用)(ハングル専用)」と呼ばれ、漢字の熟語外来語を純粋な朝鮮固有語に置き換えようとする言語改革運動(国語醇化ko:대한민국의 국어순화)ともしばしば合流する。

ハングルは15世紀に発明されたが、文字を独占していた特権階層による反対に妨げられ、きちんと使用されなかった[1]。一方、漢字と混用するものは、現地では「국한문(國漢文)」や「국한문혼용(國漢文混用)」と呼ばれる。日本では、漢字ハングル混じり(交じり)文や漢字ハングル混用文と呼ばれ、朝鮮のハングルを再発見し、既存の日本の「漢字・かな混用文」に着目して、「漢字・ハングル混用文」を日本統治時代に福沢諭吉の弟子であった井上角五郎が提案し、朝鮮人儒学者が創造した古典中国語直訳体の朝鮮語文のことに限定する場合がある。ハングルが固有語を、漢字が漢字語を記す点で、日本語漢字かな混じり文とも比較される。

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李氏朝鮮時代

ハングル開発と漢字至上主義による未普及

ハングルは、15世紀李氏朝鮮第4代国王世宗の代に創製された。李朝中後期には両班の中にハングルを用いた文芸活動にあたる漢字ハングル混じり文で書かれた小説、ハングル専用文で書かれた作品が数作品現れた。しかし、守旧派儒学者による漢字至上主義は、ハングルの公用文書への使用を阻害し、李朝の公文書漢文で作成されていた。実務文書でもハングルは漢字表記朝鮮語(吏読)を主としていた。そのため、全く普及しなかった[1]

漢字混用法開発と福沢諭吉の協力

19世紀である1882年、壬午事変の事後処理の修信使として日本にやってきた朴泳孝福澤諭吉と出会い、福澤は「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には、朝鮮語による新聞の発行が不可欠」と説き、開化派と福沢の弟子の井上角五郎の協力により、『漢城旬報』を経て、朝鮮初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された[2]

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日本統治時代

概要 漢字ハングル混じり文, 各種表記 ...
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ソ連対日参戦を報じる『毎日新報』(1945年8月14日付)。
漢字ハングル混じり文で書かれている。

朝鮮総督府は朝鮮半島に約5200校の小学校を創設し初等教育にハングルを導入した。また朝鮮半島における識字率を向上させる目的で文字を整備された[1]
この頃の学校教育やメディアによる積極的なハングルの使用により、漢字混じりのハングル文が朝鮮半島において広く普及していった。
その後の日本による統治の進展により朝鮮の学校教育における教授言語は日本語となったが、日本統治時代の前期から太平洋戦争中期にかけては朝鮮語も必修科目の一つと位置付けられ、引き続き漢字とハングルが教えられた。こうしてこの時代を中心として、近代的概念を示す和製漢語や日本語発音の単語などが朝鮮に数多く導入されていった[3]

戦後

要約
視点

韓国

1948年大韓民国建国と同時に、ハングル専用法を制定[4][5]

대한민국의 공용문서는 한글로 쓴다. 다만, 얼마 동안 필요한 때에는 한자를 병용할 수 있다.
(大韓民国の公文書は、ハングルで書く。ただし、当面の間、漢字を括弧に入れて使用することが出来る)
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李承晩の独裁に対して蜂起する市民。垂れ幕に漢字とハングルの両方が確認できる(1960年4月19日)

しかし実際には、既に漢字の知識を持つ人々の漢字使用は禁止せず、代わりに新たな漢字教育の実施を厳しく制限した。一世代かけて漢字を使わずハングルのみを使用するハングル世代ko:한글 세대)を育成する戦略であった。ハングル世代とは、広義では戦後生まれの韓国人全てを指し、若干の漢字教育を受けた可能性はある。狭義のハングル世代は朴正煕が漢字廃止宣言を実行した1970年から1972年の時期に中高生だった世代を指し、彼等は漢字教育を全く受けておらず、自分の名前の漢字さえ知らない場合が少なくない。

ハングル専用主義者の運動が功を奏し、それまで漢字使用の存続を主張していた新聞各社も「漢字を使用すると読者が読めない」と1990年代後半には漢字使用を徐々に中止していった[6]。漢字存続の立場に立つ朝鮮日報も、日刊紙は事実上のハングル専用になった。ただし、同音異義語の判別や意味をわかりやすくするため、漢字を補助表記として括弧つきで表記することがある。しかし、知識人を対象とした月刊朝鮮では漢字の使用を継続し、少年朝鮮で漢字教室を掲載して次代の漢字復活を後押ししている。

同音の漢語系語彙に対する弁別がハングルのみでは困難であるために問題が生じたという事例もある。これは、主に日本語から借用された大量の漢語は、大部分がそのまま使われ続けているためで、例えば、2022年の法務部長人事聴聞会において、野党議員は「李某」教授を「姨母」教授(ハングルでどちらも「이모」)と間違え、候補者の娘が論文を発表した際、親族関係を利用して便宜を受け取ったと問題を提起した[7]

そういった日本経由の漢字語に対しての国語醇化政策は、1948年、文教部が『我々の言葉を取り返す (우리말 도로찾기)』という冊子を作成・配布したものが最初である。このとき以来、次のような代替造語ができた。

さらに見る 漢字語, 日本語読み ...

1951年、科学技術用語制定委員会が設立され語彙の醇化が試みられたが、基本的には日本語排斥運動であり、西洋語の醇化は考慮の対象外であった。

朴正煕政権の1976年以降も、自国語から適当と思われない外来語を排除し、自国固有の言葉に置き換える国語醇化運動が推進され、文化観光部に、政府・各界により構成された「国語純化運動協議会」が設置された[8]

2005年1月27日、ハングル専用を規定した法律として国語基本法第14条第1項が制定された。朝鮮語の使用を促進、及び国語の発展と保全の基盤を用意することで、韓国国民の創造的な思考力増進をはかり、国民の文化的な生の質を向上させ、以て民族文化発展に貢献することを目的としている。これにともないハングル専用法は廃止。比較としては、漢字の使用に関する規定が変更され、漢字の括弧内使用は大統領令が定める場合に限定されることとなった。また文言も「漢字およびその他の外国文字」となり、漢字のみをあげていた旧法に比べて漢字の特権性は下落した。

国語基本法

沿革
構成と主な内容

全文は、5章27条と附則から構成される。なお、この法律の第14条第1項は、ハングル専用法1948年 - 2005年)の公文書のハングル専用規定を継承したものである。

  • 文化体育観光部長官は、国語の発展と保全のため、5年ごとに国語発展基本計画を樹立・施行しなければならない。基本計画は、樹立の際に「国語審議会」の審議を通さなければならず、次の事項を含まれなければならない(第6条第1項 - 第3項)。
    • 国語政策の基本方向と推進目標。
    • 言文(語文)規範の制定、及びに改定方向。
    • 国民の国語能力増進と国語使用環境の改善。
    • 国語政策と国語教育の連携。
    • 国語の宣揚と国語文化遺産の保全。
    • 国語の国外普及。
    • 国語の情報化。
    • 南北言語統一方案、など。
  • 文化体育観光部長官は、国語審議会の審議を経て言文規範を制定し、その内容を官報に告示しなければならない(第11条)。
  • 国語の発展と保全のための重要事項を審議するため、文化体育観光部に「国語審議会」を置き、次の事項を審議する(第13条)。
    • 基本計画の樹立。
    • 言文規範の制定及び改定。
    • その他、国語発展と保全に関し、文化体育観光部長官が付議する事項、など。
  • 公共機関の公文書は、言文規範に合わせ、ハングルで作成しなければならない。ただし、大統領令が定める場合には、括弧の中に漢字または他の外国文字を使うことができる(第14条第1項、ハングル専用規定)。
  • 国家は、国民が各分野の専門用語を易しく便利に使えるように標準化・体系化し、普及させなければならない(第17条)。
  • 国家は、国語を学ぼうとする外国人と在外同胞(国外在住の韓国民)の出入国と法的地位に関する法律により、在外同胞のために教育課程と教材を開発し、専門家を養成するなど国語普及に必要な事業を施行しなければならない(第19条)。

北朝鮮

朝鮮労働党の機関紙労働新聞においては、1946年はまだ縦書きで漢字とハングル[9]を混用していた。1947年には縦書きを維持しながら、漢数字に限って使用していた。その後1949年には、横書き移行と同時に漢字使用を全廃した[10]

しかし1968年には、金日成の見解で、漢字を使用する必要はないとしながらも、中国・韓国[注釈 1]・日本で漢字を使用していることを理由に高等中学校で漢字学習を義務付けた。これらは、金日成一個人の言語に対する考え方や統治方針が強く反映されている。

また、北朝鮮では、韓国より国語醇化が推進されているにもかかわらず、韓国と比べると日本から導入された言葉がそのまま使われている例が多い。

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ハングル専用と漢字復活論

漢字復活を主張する人とハングル専用論者との間の論争は六十年戦争といわれている。

日本統治時代に公教育の主要言語であった日本語が漢字を使用していたことが、ハングル専用を促した一因だったという意見がある。一方で漢字ハングル混じり文を残すべきだとの主張を行う学者たちの意見にも配慮し、韓国ではハングル表記の補助という位置づけながら漢字の使用は認められている。ハングルを専用することに対しては、

  • ハングルのみでは同音異義語が多量に発生するため読みづらくなる。
  • 漢字を用いずして語の正確な意味を知ることは不可能
  • 伝統文化との断絶を回避すべき

との理由で漢字復活を主張する声が旧世代を中心に根強いといわれ、また、ハングル専用の弊害として、「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が指摘されている[12]

表記の上では、/sani/ という音をハングルで書くとき、'사니' /sa+ni/ という二文字で書くのが最も自然だが、「山が」という意味で書くときは、形態素を明示して '산이' /san+i/ という綴りで書く(こういったルールを定めたものがハングル正書法朝鮮語綴字法統一案である)。

1990年代から多くのメディアで進められている「同じ意味なら固有語彙を使おう」という醇化推進も手伝って、漢字復活の可能性は減っている。

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表記例

要約
視点

大韓民国憲法の前文をハングル専用文・漢字ハングル混じり文で各表記すると次のとおりである。

さらに見る ハングル専用文, 漢字ハングル混じり文 ...

同様に大韓民国憲法の前文の和訳をかな専用文・漢字かな混じり文で各表記すると次のとおりである。ハングル専用文では文字数の変化がないのに対し、かな専用文では、文字数の大幅な上昇が見てとれる。

さらに見る かな専用訳, 漢字かな交じり訳 ...
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脚注

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参考文献

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関連項目

外部リンク

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