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木下俊保
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木下 俊保(きのした としやす)は、豊後国日出藩6代藩主。官位は従五位下、和泉守。別名は長保(ながやす)。幼名は千五郎。通称は右京、主税。
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経歴
享保2年(1717年)12月21日、一族の木下長胤の養子となり、家督を相続した。同家は初代藩主・延俊の六男の俊重を初代とする分家であり、幕府から300俵を支給される旗本であった。享保9年(1724年)10月9日、書院番に加えられた。享保15年(1730年)9月3日、進物役になった。
享保16年(1731年)11月28日、兄の子で本家を継いでいた俊在が早世したため、その養嗣子(ただし俊保が8歳上)となって跡を継いだ。なお、旗本の木下家は絶家となった。享保17年(1732年)1月28日、将軍徳川吉宗に御目見する。享保18年(1733年)12月18日、従五位下・和泉守に叙任する。
享保の大飢饉などで藩内が大被害を受け、幕府より3000両を借用したり、悪化した藩財政を再建するために藩札を発行したりしたが、家督から7年後の元文3年(1738年)8月29日、日出で死去した。享年33。跡を甥(俊在の弟)で養嗣子の俊監が継いだ。法号は竜渓院円応浄覚。墓所は速見郡日出町の松屋寺。
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系譜
父母
養子
脚注
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