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木俣守盈
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木俣 守盈(きまた もりみつ)は、江戸時代近江彦根藩執権職。木俣清左衛門家の第5代当主。
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家系
木俣清左衛門家は、徳川家康の家臣で井伊直政に与力として付けられ、後に、彦根藩井伊家の筆頭家老となった木俣守勝に始まる家。
代々の当主は、「土佐」「清左衛門」を通称とし筆頭家老を務めた。特に、3代守明、5代守盈、10代守彝は執権職(幕政では大老に相当)に就いている。知行高は1万石。
生涯
延宝5年(1677年)、彦根藩家老で、木俣清左衛門家嫡男の守長の子として生まれる。元禄7年(1694年)、部屋住みながら家老となり、藩主直興に仕えた。
宝永7年(1710年)11月、父守長の隠居により家督を相続し筆頭家老となる。享保3年(1718年)執権職となり若年の藩主直惟を補佐した。 享保19年(1734年)9月10日卒。
連歌
享保17年(1732年)正月に藩主直惟が瑞夢を見て詠んだ連歌。
朝日影くはつと目に立つは門の松(直惟)
長閑に聞ゆ鶴の聲(守盈)
参考文献
- 彦根博物館編「彦根藩筆頭家老木俣清左衛門家資料」
- 東京大学史料編纂所「彦根藩家中貞享異譜」
- 石川柊著「潺々芭蕉・五老井の流れ」
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