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本島百合子
日本の婦人運動家、政治家 ウィキペディアから
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本島 百合子(もとじま[1][2] / もとしま[3] ゆりこ、1907年(明治40年)8月3日[1][3] - 1972年(昭和47年)5月21日[1][2])は、日本の婦人運動家、政治家。衆議院議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任。
経歴

福岡県遠賀郡八幡町[3](八幡市を経て現北九州市)で、本島礼三郎の四女として生まれる[5]。
1929年、日本大学高等師範部地歴科を卒業した[2][3]。在学中から無産運動に加わった[3]。卒業後、萬朝報記者、婦人毎日新聞記者を務め、婦人解放運動を行った[1][3]。
1945年、日本社会党の結党に加わり[1][3]、1946年、同党婦人部に勤務し同副部長を務めた[3][5]。1947年5月、東京都議会議員に当選[5]。以後、都議を3期務めた[6]。
1958年5月の第28回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京3区(定数3)から出馬して初当選[1][2][3]。
1960年1月24日、社会党を離党した西尾末広らによって民主社会党(民社党)の結党大会が開かれ、本島を含む衆議院議員38人、参議院議員16人が結党に参加した[7]。
同年11月の第29回衆議院議員総選挙に同党公認で立候補し、再選。1963年の総選挙で3選。旧東京3区の定数が3から4に増えた1967年の総選挙で自民党は2議席獲得し、本島は2番目の得票数で4選。この間、民主社会党生活対策本部長、民社党婦人部長などを務めた[1][2][3][6]。
1969年12月の第32回衆議院議員総選挙の旧東京3区に自民党は現職の賀屋興宣、広川シズエに加え、小坂一族の小坂徳三郎の計3人を擁立。小坂と賀屋が当選し、本島は次点で落選した。
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脚注
参考文献
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