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第29回衆議院議員総選挙
1960年に行われた日本の衆議院選挙 ウィキペディアから
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第29回衆議院議員総選挙(だい29かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1960年(昭和35年)11月20日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
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概要
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選挙データ
内閣
解散日
解散名
- 安保解散
公示日
投票日
改選数
- 467
選挙制度
- 投票方法
- 秘密投票、単記投票、1票制
- 選挙権
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
- 54,312,993(男性:25,962,162 女性:28,350,831)
同日実施の選挙等
- 国民投票
- 参議院議員補欠選挙
- 埼玉県地方区(定数1)
選挙活動
党派別立候補者数
選挙結果
要約
視点
日米安保条約改定に反対する安保闘争が激しく行われて間も無かったが、投票率は3.48ポイント下がった。安保闘争は選挙への影響はほとんど無かった。逆に、社会党と民社党の分裂により、自民党が議席を増やした。
自民党は経済成長の高まりから「所得倍増計画」を掲げ、安保から経済に争点を振り替えることに成功した。自民党は候補者を前回より14人減らし、399人。23万票あまり(保守系無所属を含めると100万票)減らしたものの、社会、民社が分裂で互いに候補を増やしたことから296議席と議席を伸ばした。追加公認を合わせ300議席、議席率は64.2%。議席率は、自民党最高峰の記録である。そして、日本は高度経済成長の時代を迎えた。
社会党は民社党の離反で候補者数を減らしたものの、186人を擁立。選挙前に浅沼委員長が暗殺されたことで同情を集め、民社党への離党者の分を18議席取り戻した。しかし前回の議席回復はならなかった。また、構造改革の是非について、長きにわたる党内の派閥抗争が始まった。
民社党は社会党に取って代わる意気込みで、105人と多くの選挙区に候補を立てた。しかし、自社両党に挟まれる形で23議席減の惨敗。社会・民社の合計では、候補者は45人増え、得票は125万票あまり(革新系無所属を含めると119万票あまり)増えた。社会・民社両党は積極的な擁立で票を掘り起こしたものの、議席には結びつかなかったと言える。
共産党は2議席増、14万票を増やした。3議席と小勢力であったが、共産党は底を脱した形であった。これからしばらくの間、選挙のたびに得票を増やして行く。
党派別獲得議席
- 投票率:73.51%(前回比:
3.48%)
- 【男性:76.00%(前回比:
3.79%) 女性:71.23%(前回比:
3.19%)】
党派別当選者内訳
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政党
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| |
- 諸派:1議席
- 1議席(1団体)
- 佐賀県農業者政治連盟:古賀了(佐賀全県区)
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議員
要約
視点
当選者
自民党 社会党 民社党 共産党 諸派 無所属
補欠当選等
初当選
- 自由民主党
- 29名
- 日本社会党
- 26名
- 民主社会党
- 1名
- 諸派
- 1名
- 無所属
- 3名
返り咲き・復帰
- 計63名
- 自由民主党
- 41名
- 日本社会党
- 16名
- 民主社会党
- 3名
- 日本共産党
- 2名
- 無所属
- 1名
引退・不出馬
- 計7名
- 自由民主党
- 3名
- 日本社会党
- 4名
落選
- 計94名
- 自由民主党
- 52名
- 日本社会党
- 16名
- 民主社会党
- 26名
記録的当選・落選者
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選挙後
国会
- 衆議院議長選挙(1960年12月7日 投票者数:450 過半数:226)
- 衆議院副議長選挙(1960年12月7日 投票者数:453 過半数:227)
- 内閣総理大臣指名選挙(1960年12月7日)
- 衆議院議決(投票者数:454 過半数:228)
- 衆議院副議長選挙(1961年6月8日 投票者数:368 過半数:185)
- 原健三郎 (自民党) :260票
- 久保田鶴松(社会党) :105票
- 田中伊三次(自民党) : 1票
- 無効 : 2票
政党
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脚注
関連項目
参考文献
外部リンク
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