トップQs
タイムライン
チャット
視点
本田みずほ
ウィキペディアから
Remove ads
本田 みずほ(ほんだ みずほ、1973年4月22日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:本田 美津保(結婚前の旧姓)。吉本興業所属。
来歴
小学1年生の頃に漫才ブームの影響を受け、漫才師に憧れる。小学校の高学年になると手当たり次第にタレントオーディションを受けるが、すべて不合格となる。
相模原市立上溝南中学校では演劇部に入り、研ナオコや樹木希林のような女優に憧れる。神奈川県立上溝高校1年の夏、オーディション雑誌の片隅に「吉本興業/バッタモンクラブ・オーディション」の広告を見つけ、演劇部の友人2人と挑戦。「ぱぁぷるず」の名で初舞台に立つ。これを機にお笑いに目覚め、友人と別れ新たに1人コントに挑む。吉本バッタモンクラブで芸を磨き、高校卒業後に間寛平門下となる[1][2]。アイドル風のルックスで、当時は「西のキョンキョン」などと呼ばれていた[3]。
1993年、フジテレビの深夜番組『とぶくすり』のレギュラーに抜擢される。しかし『とぶくすりZ』の終了以降、一旦メディアから消えることになる。
1994年にパンク・ロックバンド「SPOON PERM」を結成し、作詞およびボーカルを担当。1996年3月25日、ミラクル・レコードからアルバム『BEST?』をリリースする[4]。
その後はルミネtheよしもとの新喜劇などの舞台を中心に、お笑い芸人として活動している。また、『とぶくすり』の後継番組である『めちゃ2イケてるッ!』に数年に一度のペースでゲスト出演し、「濱口だまし」にも参加した。同番組の終了後には本田もフジテレビのリハ室に招集され、総監督の片岡飛鳥から番組特製メダルを授与されたとTwitterとInstagramで報告している[5]。
日本アロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー。この資格と絵画の趣味を生かし、Em Zed Eych(エムゼットエイチ)名義で手作りのアロマキャンドルアート作品を発表している[7]。2015年には、表参道の galerie doux dimanche(ギャラリー・ドゥー・ディマンシュ)で初の個展を開いた[8]。
Remove ads
出演
テレビ番組
- 5時SATマガジン(中京テレビ)
- クイズ!年の差なんて(フジテレビ)
- 平成名物TV 第2部「IKE IKE CLUB」(1990年 - 1991年、TBS)
- 黒BUTA天国(1993年 - 1994年、テレビ東京)
- とぶくすり(1993年、フジテレビ)[3][5]
- 電波結社バババ団(1993年 - 1994年、中京テレビ)[9]
- うるとら7:00(1993年 - 1995年、日本テレビ)[1]
- 殿様のフェロモン(1993年 - 1994年、フジテレビ)[5]
- とぶくすりZ(1994年 - 1995年、フジテレビ)[10]
- お年玉スペシャル 笑う正月!ハッスルかましてよかですか!?(1994年1月1日、フジテレビ)
- グルーヴレーサー(テレビ神奈川)[1]
- ウイークエンド・ジョイ(1997年 - 1998年、NHK BS2)[11][12]
- ヨシモト∞ 土曜第2部「ADORIBU武道会」(2006年 - 2007年、ヨシモトファンダンゴTV)
- YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜(2007年、中京テレビ)[13]
テレビドラマ
ラジオ番組
- TEAM-0と本田みずほの赤ずきんちゃん気をつけて(1993年、TBSラジオ)
舞台
- 舞台版 笑いの殿堂(1991年)[1]
- ホラリオン 〜笑いと恐怖の大祭典〜「新・地獄の楽園」(2008年、劇団あぁルナティックシアター公演)[13]
映画
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads