トップQs
タイムライン
チャット
視点
本田長康
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
本田 長康(ほんだ ながやす[1]、1906年?-1986年11月26日)は、日本出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパーおよびハーフバック(現在のミッドフィールダー)。
来歴
1927年と1930年の極東選手権に日本代表として参加した。早稲田大学ア式蹴球部(早大WMW)を母体に日本代表が構成された1927年大会では、1試合目の中華民国戦にはGKとして先発したが、途中交代で法政大学からの補強選手であるGK西川潤之が入ったため本田は試合中にHBへとポジションを移し、2試合目のフィリピン戦にも続いてHBとして出場した。日本代表が初めて選抜チームで構成された1930年大会では、フィリピン戦と中華民国戦にHBとして出場、日本代表の国際大会初優勝に貢献した。
所属クラブ
- 東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)
- 早稲田高等学院
- 早稲田大学/早大WMW
代表歴
出場大会
- 1927年 極東選手権
- 1930年 極東選手権
試合数
- 国際Aマッチ:4試合0得点(1927-1930)
出場
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads