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早稲田大学ア式蹴球部
早稲田大学のサッカー部 ウィキペディアから
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早稲田大学ア式蹴球部(わせだだいがくアしきしゅうきゅうぶ、英語: Waseda University Association Football Club)は、東京都西東京市にある早稲田大学のサッカー部である。ア式蹴球とはサッカーの別称である「アソシエーション式フットボール」に由来する。
全国タイトル計30回(全国大学タイトル計27回・天皇杯3回)、全国大学タイトル計27回(東西対抗13回・全日本大学選手権12回・総理大臣杯2回)や、現役学生のみのア式蹴球部による天皇杯優勝3回、関東大学リーグ優勝27回は全国の大学で最多である。
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歴史
要約
視点
創部は1924年であるが、1922年に行われた日本最初のサッカーリーグとなる「専門学校蹴球リーグ戦」に東京帝国大学、東京高等師範、東京商科大と共に早稲田大学の蹴球部が参加した。なお、創部した1924年より関学蹴球部との早関サッカー定期戦が開催されている。
専門学校蹴球リーグ戦はこの年に2回実施されたのみで、スケジュールの都合が付かず、中止されることになった。しかし、関東の大学チームにおけるリーグ戦の必要性が痛感されたため、東京帝大の野津謙を中心として、1925年からリーグ運営を体系立てた上で「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」として再開された。これが現在の関東大学リーグの大本となっている。第1回ア式蹴球東京コレッヂリーグ1部は専門学校蹴球リーグ戦に参加した早稲田、東京帝大、東京高師の他に、法政大、慶應義塾大、東京農大の6校が参加した。この第1回ア式蹴球東京コレッヂリーグ1部で優勝したのが早稲田大学ア式蹴球部である。
以降、関東のサッカーシーンは東京帝大、慶應義塾、そして早稲田の3強を軸として進められていった。1960年代までにおいても、関東の大学サッカーがその他の地域に比して優勢であった為、この3校は日本サッカー界の中心でもあった。また当時は、大学を卒業してからもOBクラブに所属しプレーを続ける事が一般的であった。天皇杯で1928年に優勝、1940年に準優勝の早大WMW(ワセダ・マルーン&ホワイト)は早稲田大学ア式蹴球部のOBクラブである。
1950年10月1日、神宮外苑競技場で第1回早慶サッカー定期戦が開催された。なお、この試合はサッカーにおける日本国内初のナイトゲームであった。
1960年に天皇杯で古河電工が優勝すると、次第に日本サッカーシーンの主軸は大学サッカーから実業団へと傾斜していった。1966年の早稲田大学ア式蹴球部による天皇杯の優勝は、大学勢による最後の天皇杯優勝であった。
その後、大学サッカーの中心であった早稲田、慶應義塾といった存在は、日本サッカー界に「学閥」と言う形で残った。早稲田、慶應義塾から丸の内御三家への入部が、日本サッカー協会でのメインストリームになった。この象徴となっているのが川淵三郎(第10代日本サッカー協会会長)である。
1996年に1部で優勝したが、1997年に関東2部、2000年に東京都リーグへ降格した。2004年にOBの大榎克己が監督に就任し、同年に関東2部へ、2005年に1部へそれぞれ昇格した。また、2005年の総理大臣杯で準優勝の成績を収めた。2006年は全日本選手権(インカレ)で準優勝した。2007年度は関東大学リーグで準優勝、全日本選手権で優勝を果たした。なお、大榎は同年で監督を退任した。
2008年から2009年までサッカーチャイニーズタイペイ代表元監督の今井敏明が監督を務めた。2010年から鹿島アントラーズ元ユース監督の古賀聡が監督に就任し、2012年にインカレで5年ぶり12回目の優勝を果たした。
2015年は第7節を終えて最下位と苦しんでいたが、堅守を活かし残り15試合を7連勝を含む12勝2分1敗で終え、関東大学リーグ1部で19年ぶりの優勝を果たした[1]。
2016年の東京都サッカートーナメントで初優勝して、19年ぶりの天皇杯本戦への出場を決めた[2]。リーグ戦では6勝5分11敗と苦戦し、シーズン11位で12年振りの2部降格となった。2017年は2部優勝を果たし1年での1部復帰を果たした。
2018年、外池大亮が監督に就任[3]。11月10日、3年振り27回目の1部優勝を決めた[4]。
2019年2月、早稲田ユナイテッド(関東サッカーリーグ2部)の運営を承継して、社会人リーグに参加すると発表された。チーム名は早稲田大学ア式蹴球部FC(呼称は早大ア式FC)とし、外池が監督を兼任する[5]。
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戦績
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | アミノ杯 | 総理大臣杯 | インカレ | 監督 |
1998 | 関東2部 | 6位 | 10 | 7 | 3 | 1 | 3 | 9 | 10 | -1 | - | 優勝 | 1回戦敗退 | |
1999 | 3位 | 12 | 7 | 3 | 3 | 1 | 12 | 9 | 3 | - | - | 由井濱洋一 | ||
2000 | 8位 | 3 | 7 | 0 | 3 | 4 | 9 | 19 | -10 | 伊藤徹[要曖昧さ回避] | ||||
2001 | 東京都1部 | 優勝 | 藤原義三 | |||||||||||
2002 | 関東2部 | 8位 | 9 | 14 | 2 | 3 | 9 | 13 | 32 | -19 | ||||
2003 | 東京都1部 | 優勝 | ||||||||||||
2004 | 3位 | 大榎克己 | ||||||||||||
2005 | 関東2部 | 優勝 | 50 | 22 | 16 | 2 | 4 | 62 | 19 | 43 | 準優勝 | |||
2006 | 関東1部 | 5位 | 37 | 22 | 11 | 4 | 7 | 43 | 25 | 18 | ベスト8 | 準優勝 | ||
2007 | 2位 | 43 | 22 | 14 | 1 | 7 | 53 | 29 | 24 | 優勝 | - | |||
2008 | 10位 | 21 | 22 | 6 | 3 | 13 | 27 | 35 | -8 | 1回戦敗退 | - | 今井敏明 | ||
2009 | 7位 | 29 | 22 | 8 | 5 | 9 | 30 | 32 | -2 | - | ||||
2010 | 10位 | 26 | 22 | 7 | 5 | 10 | 31 | 31 | 0 | 古賀聡 | ||||
2011 | 5位 | 35 | 22 | 10 | 5 | 7 | 30 | 23 | 7 | 1回戦敗退 | ||||
2012 | 3位 | 41 | 22 | 13 | 2 | 7 | 46 | 31 | 15 | 優勝 | ベスト4 | 優勝 | ||
2013 | 2位 | 36 | 22 | 10 | 6 | 6 | 34 | 31 | 3 | 7位 | 2回戦敗退 | 2回戦敗退 | ||
2014 | 4位 | 35 | 22 | 10 | 4 | 7 | 27 | 20 | 7 | 7位 | - | ベスト8 | ||
2015 | 優勝 | 44 | 22 | 13 | 5 | 4 | 27 | 19 | 8 | 2回戦敗退 | ベスト8 | |||
2016 | 11位 | 23 | 22 | 6 | 5 | 11 | 27 | 30 | -3 | 準優勝 | ベスト8 | - | ||
2017 | 関東2部 | 優勝 | 47 | 22 | 14 | 5 | 3 | 62 | 27 | 35 | 2回戦敗退 | - | ||
2018 | 関東1部 | 優勝 | 46 | 22 | 14 | 4 | 4 | 49 | 37 | 12 | 5位 | 2回戦敗退 | ベスト8 | 外池大亮 |
2019 | 8位 | 24 | 22 | 7 | 3 | 12 | 26 | 36 | -10 | 2回戦敗退 | - | - | ||
2020 | 2位 | 44 | 22 | 14 | 2 | 6 | 48 | 21 | 27 | 準優勝 | -[※ 1] | |||
2021 | 5位 | 30 | 22 | 9 | 3 | 10 | 27 | 32 | -5 | 2回戦敗退 | - | 2回戦敗退 | ||
2022 | 12位 | 14 | 22 | 3 | 5 | 14 | 17 | 40 | -23 | 2回戦敗退 | - | - | ||
2023 | 関東2部 | 5位 | 37 | 22 | 10 | 7 | 5 | 49 | 28 | 21 | 3位 | 2回戦敗退 | - | 兵藤慎剛 |
2024 | 5位 | 35 | 22 | 9 | 8 | 5 | 39 | 32 | 7 | 4回戦敗退 | - | - |
- 注釈
- 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、開催中止となった。両大会の中止を受け、特例大会として#atarimaeni CUPが開催された。
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主な成績
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
- 優勝:3回 (1938, 1963, 1966)
- 東西学生蹴球対抗王座決定戦
- 優勝:13回 (1933, 1934, 1935, 1936, 1946, 1947, 1949, 1950, 1956, 1957, 1958, 1963, 1965)
- 全日本大学サッカー選手権大会
- 優勝:12回 (1955, 1966, 1972, 1973, 1974, 1978, 1986, 1991, 1993, 1994, 2007, 2012)
- 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント
- 優勝:2回 (1978, 1998)
- 関東大学サッカーリーグ戦1部
- 優勝:27回 (1924, 1933, 1934, 1935, 1936, 1941, 1946, 1947, 1949, 1950, 1951, 1955, 1956, 1957, 1958, 1960, 1963, 1965, 1966, 1967, 1971, 1972, 1975, 1976, 1996, 2015, 2018)
- アミノバイタルカップ:1回
- 優勝:1回 (2012)
- 東京都サッカートーナメント (兼天皇杯東京都予選)
- 優勝:1回 (2016)
早大WMW
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
- 優勝:1回 (1928)
- 国体
- 優勝:1回 (1947)
主な所属選手
要約
視点
1925年から1955年
1955年から1990年
1949年の学制改革により、新制早稲田大学が設置され、日本各地の旧制中学校が新制高校に移行した。
1991年以降
1992年にJリーグが発足した。
サッカー選手
サッカー選手以外
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脚注
関連項目
外部リンク
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