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札幌飛行場 (初代)

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札幌飛行場(さっぽろひこうじょう)は、かつて北海道札幌市北24条西(現在の北区)に存在した飛行場。

概要 札幌飛行場 (札幌第一飛行場), 概要 ...

かつては北海道と東京を結ぶ唯一の航空路を持っていた飛行場で、太平洋戦争中は製鉄・兵器工場のあった室蘭を守備するため、日本陸軍飛行第13戦隊が配備された[1]

航空機を飛行場へ誘導するための航空灯台は、南1条西2丁目にある丸井今井札幌本店屋上の塔屋に設置されていた[2]

1945年の終戦とともに閉鎖されたが、跡地では進駐軍落下傘降下部隊が何度か降下訓練を行っている[3]

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歴史

  • 1926年大正15年)8月 - 北海タイムス社が事業部に航空班を設立する[4]
  • 1927年昭和2年)1月 - 北海タイムス社が市有地に6.6haの飛行場を造成する[4][5]
  • 1932年(昭和7年)8月 - 帝国議会で北海道方面への定期航路用飛行場整備を可決[6]
  • 1933年(昭和8年)
    • 3月 - 逓信省が53haに拡張を決める[4]
    • 6月9日 - 定期航路対応飛行場として竣工[6]
    • 8月 - 逓信省が航空局を設立する[4]。道内初の国立飛行場となる[5]
  • 1936年(昭和11年)
    • 9月 - 飛行場が整備され、航空局札幌飛行場事務所が設置される[4]
    • 10月8日[7] - 陸軍特別大演習の観兵式(陸軍兵25,000人参加)が開かれる[1]
  • 1937年(昭和12年)
  • 1938年(昭和13年) - 丸井今井の屋上に航空灯台が設置される[4]。札幌-東京線の機材を三菱ひなづる型に変更[6]
  • 1939年(昭和14年) - 事業者が国策会社の大日本航空輸送となる[4][5]
  • 1940年(昭和15年) - 企業による航空事業は停止され、軍用飛行場となる[4]。7月9日に札幌-東京線を休止[6]、10月に廃止[5]
  • 1944年(昭和19年)8月 - それまでの草を刈って整地しただけの滑走路から、板敷滑走路に変わる[4]。長さ400m、幅18m[5]
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月 - 市民を動員して100haへの拡張工事が行われるものの、太平洋戦争の終結とともに中止される[4]
    • 10月26日 - 進駐軍の軍需機材処理部隊によって、26機の航空機もろとも火炎放射器で焼き尽くされる[4][5]
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遺構

札幌市北区北24条西8丁目には高さ2m超の門柱が残る[5]。また門柱の間には、坂坦道によるプロペラにパイロットの顔をあしらった彫刻「風雪」碑がある[9]

北区歴史と文化の八十八選のうち、「2.水辺と開墾の道〈北・新川・新琴似・麻生コース〉」に属する「25.札幌飛行場正門跡と『風雪」碑」として選定されている[10]

また、飛行場の北側に設けられていた防風林は、緑地を活かす形で道路として造成され、同八十八選の「23.北27条公園通り」となった[11]

ギャラリー

脚注

参考文献

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