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朴敬遠
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朴 敬遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1921年9月11日 - 2021年8月23日)は、大韓民国の軍人、政治家、養殖漁業家。最終階級は陸軍少将。第四共和国体制で第9代慶尚北道知事および第18代江原道知事を務めた。韓国におけるマス養殖の導入で功績がある。創氏改名による日本名は木戸忠一[1]。
生涯
要約
視点
1921年10月、江原道高城郡高城面の中農層の家庭で1男3女の長男として生まれた。1936年3月に高城公立高等小学校を卒業すると、父(日本大学経済科卒業)の家事を手伝った。1938年4月、陸軍特別志願兵に応募して合格。1938年度江原道出身の合格者28人のうちの1人であり、高城郡の志願者201人のうち唯一の合格者であった。1.78メートルの強健な体格の持ち主であった朴敬遠は、日本人に負けない実力を付けて自身の運命を開拓しようと陸軍特別志願兵を志願した[2]。
1938年12月10日、二等兵階級で第19師団第37旅団隷下の歩兵第73連隊第1中隊に入隊。1939年6月、一等兵に、同年11月に伍長勤務上等兵に進級した。1940年7月、幹部候補生に選抜され、豊橋陸軍教導学校に入校。同年9月、陸軍兵長に進級。1940年11月、豊橋陸軍教導学校修了と同時に伍長に進級。第73連隊第7中隊に配属され、翌年11月、陸軍軍曹に進級。
1943年9月、陸軍士官学校士官候補生第2中隊に転属命令を受け、12月、陸軍曹長に進級。1944年9月、士官候補生第12中隊に、1945年5月、士官候補生第13中隊に、7月、士官候補生第8中隊に転属した。朴敬遠の陸士勤務は教授部所属で士官候補生の教育訓練計画と日程を立案し、実施することだった。このため当時士官候補生だった張昌国と丁來赫と特別な縁を結ぶことができた[3]。
終戦時は曹長で、陸軍士官学校助教として勤務していた。姜文奉少尉の引率のもと帰国を命じられ、張昌国生徒らと長野で合流後に帰国した[4]。
韓国軍での活動
帰郷後は高城中学校の体育教師として勤務していたが、1947年末に越南した[5]。
1949年、陸軍歩兵学校が設立すると、防御戦術教官として高級指揮官の特殊教育を担当した[6]。
1950年8月7日、金徳俊の後任で首都師団作戦参謀[7]。
1951年に陸軍綜合学校教授部長、1952年に陸軍教育総監部作戦処長を経て米陸軍歩兵学校に留学。1952年11月に帰国して第3師団第18連隊長[8]。以後、第1軍司令部参謀長、陸軍歩兵学校長、連合本部長、国防部次官補を歴任した[9]。
第50師団長在任中に5・16軍事クーデターが起き、現役軍人の身分で9代慶尚北道知事に発令される。
1963年12月18日に予備役編入後、江原道知事に就任。在任中に食糧問題改善のため、マス養殖の国産化に乗り出す。当初北米カリフォルニアから発眼卵1万個を輸入したがうまく行かず、試験場を華川郡から平昌に移したうえで北海道から輸入した発眼卵で成功にこぎつけた[10]。
一方で、朴奉愛を通して統一教会の組織形成に関与したとされ、道庁職員に統一教会式の教育を行っていた[11]。また、日本の政界では野田卯一とも親交があった。
1969年に知事退任後は水資源開発研究所を設立し、養殖技術の開発に携わる。1980年4月、宋錫夏らと新民党に入党[12]。
政界引退後は在職中のノウハウを活かして農業や養殖業に従事。また、それらでとれた農産物や海産物を振舞うレストランも開業していた。
2021年8月23日午前4時、老衰のため死去。享年99[10]。
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年譜
- 1938年12月10日:二等兵、第19師団第37旅団隷下の歩兵第73連隊第1中隊に入隊
- 1939年
- 1940年
- 1942年11月:陸軍軍曹に進級
- 1943年
- 1944年9月:士官候補生第12中隊
- 1945年
- 5月13日:生徒隊第13中隊(長:中山生藤少佐)附助教
- 7月17日:生徒隊第8中隊(長:中山生藤少佐)附助教
- 1948年7月:警備士官学校卒業(6期)
- 1949年:陸軍歩兵学校防御戦術教官
- 1950年8月7日:首都師団作戦参謀
- 1952年11月:第8師団第18連隊長
- 1955年:陸軍大学卒業
- 1956年:第1軍参謀長
- 1959年:建国大学卒業
- 1960年:国防研究院卒業
- 7月:第50師団長(~1961年8月)、准将
- 1961年5月:慶北道知事
- 1963年
- 1月:少将
- 12月:民政移管のため慶北道知事辞任、江原道知事に就任、予備役編入
- 1964年3月:農村視察のため来日
- 1969年2月:鎮海化学会長、再建国民運動中央会副会長
- 1971年10月:水資源開発研究所理事長
- 1973年:鳥獣保護協会会長
- 1975年:道路開発研究所理事長
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勲章
脚注
参考文献
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