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李榮杓

韓国のサッカー選手 ウィキペディアから

李榮杓
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李 榮杓イ・ヨンピョ이영표1977年4月23日 - )は、大韓民国出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー[1]。2021年から江原FC代表取締役および大韓サッカー協会副会長を務めている。

概要 李 榮杓, 名前 ...
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経歴

クラブ

2002年日韓W杯で韓国を率いたフース・ヒディンクに高く評価され、大会後にオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍。瞬く間にレギュラーポジションを確保し、2度のリーグ優勝を経験。05年の欧州チャンピオンズリーグではチームのベスト4に貢献。準決勝のACミラン戦では、対峙したカフーを幾度と無く抜き去り、注目を集める。大会後の2005-2006シーズンからはイングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーでプレーした。

2006年夏の移籍市場でイタリアセリエAASローマへの移籍話がほぼまとまっていたが、本人が直前に移籍を拒否する騒動があった。「(移籍中止は)宗教上の理由」とイタリア紙は報じたが、イギリス紙によれば「(ヨンピョは)引退後を考え英語圏でプレーすることを望んだ」と報じている。

2007-2008シーズンは新加入のアラン・ハットンジウベルトらにレギュラーを奪われ、2008-2009シーズンにドイツ・ブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ移籍した。

2009年7月にサウジアラビアの強豪アル・ヒラルへ移籍。レギュラーとして活躍し、チームの優勝に貢献した。

2011年12月にメジャーリーグサッカーバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍した。

2013年10月22日に今シーズン限りでの現役引退を表明した[2]

代表

2010 FIFAワールドカップでは全4試合にフル出場し、韓国のベスト16進出に貢献。AFCアジアカップ2011でもレギュラーとしてベスト4入りに貢献した。準決勝の日本戦での敗退後、代表引退を表明した[3]

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エピソード

  • オランダPSV時代の同僚だった、同じ韓国出身の朴智星が内向的だったのとは対照的に、李は英語が流暢で外向的な性格。PSVで絶対的なチームリーダーだったマルク・ファン・ボメルとも試合中に意見を戦わせるシーンが少なくなかった。
  • 2005-2006シーズンのイングランドプレミアリーグで、マンチェスター・ユナイテッド朴智星と直接対決。この時、李は自陣ゴール前でフェイントで朴をかわそうとしたが、執拗に追われてボールを奪われ、アシストを献上。
  • 敬虔なクリスチャンであり、グラウンドで身をかがめて祈るシーンを良く見かけられる。
  • 2005年の夏にASモナコが500万ユーロのオファーを出したが、当時所属していたPSVがこれを拒否していた。当時監督を務めていたヒディンクは、「モナコはバカンスに行く所。ステップアップにもならない移籍は後押しできない」と本人を納得させた。
  • 非常な努力家として知られ個人練習も欠かさない。しかし欧州で成功した最も大きい要因は前述の通り自己主張の強さと見る評論家が多い。
  • 引退後にフットウェアスタートアップである「SOCKS UP」を創業している。
  • 2021年1月1日から江原FCの代表取締役に就任[4]。同年3月3日には大韓サッカー協会副会長に選任された[5]
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所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 130試合 4得点(1999年-2011年)[6]
さらに見る 韓国代表, 国際Aマッチ ...

脚注

外部リンク

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