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東伏見宮
依仁親王が創立した宮家 ウィキペディアから
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東伏見宮(ひがしふしみのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。

概要
明治36年(1903年)1月31日、伏見宮邦家親王の第17王子である依仁親王を初代として創設された。依仁親王は、当初は兄の小松宮彰仁親王の創設した小松宮を継承する予定であったが、折り合いが悪く離縁。その際、新たな宮号を名乗ることとなり、小松宮の旧称である東伏見宮を称することとなった[1]。
大正11年(1922年)6月27日、依仁親王が嗣子を残さず薨去したことにより宮家としては断絶。依仁親王は生前。大甥にあたる邦英王を実子同然に養育していたことから[1]、昭和6年(1931年)4月4日、臣籍降下に際して東伏見宮伯爵家を創設、宮家の祭祀を継承した[2]。ただし、それとは別に東伏見宮家自体は依仁親王妃周子が昭和22年(1947年)10月14日、GHQの指令により皇籍離脱するまで存続している。
系図
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脚注
参考文献
外部リンク
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