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松平忠常

日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本松平忠容の子で、塩崎松平氏2代当主 ウィキペディアから

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松平 忠常(まつだいら ただつね)は、江戸時代中期の大身旗本旗本寄合席)。信濃塩崎陣屋5000石松平家の第2代当主。

概要 凡例松平忠常, 時代 ...

生涯

塩崎陣屋松平家初代・松平忠容の子として誕生。塩崎陣屋(現在の長野市篠ノ井塩崎)の松平家は信濃国上田藩主家の分家にあたる。

宝暦6年10月29日1756年11月21日)、10歳の時に家督を継ぐ[1]。宝暦12年(1762年)には知行地で「塩崎騒動」[3]あるいは「桝騒動」[4]と呼ばれる百姓一揆が発生している(上田藩宝暦騒動に連動したものとされる[4])。

明和4年12月9日1768年1月28日徳川家治御目見[1]

男子はなく女子一人であったため、天明4年(1784年)に豊後岡藩主中川家から忠明を婿養子として迎えている。

天明5年8月11日1785年9月14日)、忠明に家督を譲って致仕し[1]、常翁を称した[1]

脚注

参考文献

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