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松平清善
竹谷松平家当主 ウィキペディアから
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松平 清善(まつだいら きよよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。松平親善の長男。通称、與二郎、玄蕃允、備後守。竹谷松平家4代当主。
略歴
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、今川義元が討ち死にすると徳川家康に従い、今川氏から離反したため、人質として差し出していた娘は殺害された。永禄元年(1558年)に家康より、丸子城の守備を命じられる。永禄5年(1562年)に上ノ郷城の戦いで鵜殿長照の居城・上ノ郷城を攻め落として功績を立てた。元亀3年(1572年)、遠江国の宇津山城番となる。
脚注
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