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松平直致
江戸時代の大名、最後の明石藩主 ウィキペディアから
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松平 直致(まつだいら なおむね)は、江戸時代後期の大名。播磨国明石藩第10代(最後)の藩主、知藩事。官位は従四位上・侍従、左兵衛督。直良系越前松平家11代。
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生涯
嘉永2年(1849年)、9代藩主・松平慶憲の長男として江戸藩邸にて誕生した。母は側室の古満子(小林氏)。幼名は薫次郎。
文久元年(1861年)に元服し、父・慶憲より直致と名付けられる。慶応3年(1867年)、江戸城に初登城するが、15代将軍・徳川慶喜不在のため(慶喜は将軍在任中には江戸にいたことがなかった)、老中・稲葉正邦と面会する。明治元年(1868年)、太政官より従四位上・侍従を叙任、左兵衛督に任官する。この年、自邸の一部を開放し、藩校・敬義館を興す。慶應義塾に学び[1]、明治2年(1869年)、慶憲の隠居に伴い家督を相続する。版籍奉還により知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。
明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を免官となる。東京へ移住する。その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県に併合され、1週間後に姫路県は飾磨県と改称された。明治17年(1884年)4月2日に隠居して弟の直徳が家督を継ぎ[2]、同年6月28日に病没した。
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系譜
脚注
参考文献
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