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松村亮
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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松村 亮(まつむら りょう、1994年6月15日 - )は、京都府宇治市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
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来歴
要約
視点
伊勢田サッカークラブ、宇治FCジュニアユースを経て、2010年、ヴィッセル神戸U-18に加入。同期には岩波拓也、前田凌佑、和田倫季らがいる。
2011年、U-17日本代表に選出され、メキシコ遠征を経験したが、2011 FIFA U-17ワールドカップの代表メンバーからは落選した。同年、第35回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で準優勝。プリンスリーグ関西1部で優勝を飾り、参入戦を勝ち抜いてプレミアリーグウエストへ昇格した。プリンスリーグではチーム総得点の半数以上に関わる12得点14アシストを記録し、リーグMVPに選出された[2]。
2012年5月11日、トップチームに2種登録されると、5日後のナビスコカップグループリーグ第4節清水エスパルス戦に後半17分から出場し、公式戦デビュー。出場から僅か2分後の後半19分に得点を挙げ、小川慶治朗が保持していたクラブ最年少得点記録を更新した(17歳11か月1日)[3]。プレミアリーグウエストでは得点ランキング首位を独走し、計22得点を挙げて得点王に輝いた[4]。
2013年、前田凌佑、和田倫季と共にトップチームへ昇格。J2第32節ギラヴァンツ北九州戦でリーグ戦初得点を記録した。
2014年、前年限りで現役を退いた吉田孝行から直々に指名を受け、背番号「17」を受け継いだ[5]。開幕戦のJ1第1節川崎フロンターレ戦に途中出場し、J1初得点を記録した。
2015年、栃木SCへ期限付き移籍[6]。2015年末で栃木SCへの期限付き移籍期間が満了となり2016年より神戸に復帰した[1]。
2016年2月、ヴィッセル神戸の沖縄キャンプ中に負傷。右ハムストリング肉離れで全治約8週間[7]。その後、復帰したが同年10月31日の練習中に再び負傷。右腸骨筋肉離れで全治5~6週間の診断を受け[8]、リハビリに入ったままシーズンを終えた。
2017年、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍[9]。12月6日、徳島ヴォルティスを移籍期間満了により退団し[10]、所属元の神戸からも契約満了が発表。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[11]。
2018年、AC長野パルセイロへ移籍。しかし11月28日に契約満了に伴い退団する事が発表された[12]。
2019年1月、タイ・リーグ2のラヨーンFCへ移籍。リーグで32試合10得点を挙げてチームの昇格に貢献する。
2021年、タイ・リーグ1のBGパトゥム・ユナイテッドFCへ移籍[13]。9月にタイランド・チャンピオンズカップで決勝点を挙げて大会MVPにも選ばれ、チームのタイトル獲得に貢献する。
2021年12月から2022年5月までポリス・テロFCへ期限付き移籍。
2022年8月5日、インドネシアのリーガ1に所属するペルシス・ソロに期限付き移籍での加入を発表。
2023年5月26日、リーガ1のプルシジャ・ジャカルタに3年契約で加入[14][15]。
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プレースタイル
その名の通りリオネル・メッシを彷彿とさせる初速のスピードと鋭く細やかな反転、重心移動を活かしたドリブルが持ち味で、左右どちらのサイドからでも局面を打開し、シュートまで持ち込むことが出来る[17][18][19]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 2001年 - 2006年 伊勢田サッカークラブ (宇治市立宇治小学校)
- 2007年 - 2009年 宇治FCジュニアユース (宇治市立宇治中学校)
- 2010年 - 2012年 ヴィッセル神戸U-18 (啓明学院高等学校)
- 2012年 ヴィッセル神戸 (2種登録選手)
- プロ経歴
個人成績
- 2012年は2種登録選手として出場。
その他の公式戦
出場歴
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タイトル
クラブ
個人
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関西1部 - MVP : 2011年
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグウエスト - 得点王 : 2012年
代表歴
- U-16日本代表
- U-17日本代表
脚注
関連項目
外部リンク
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