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松永碩
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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松永 碩(まつなが せき[1]、1928年6月25日[1] - 2013年3月4日)は、日本の実業家で元サッカー選手。ポジションはFW。「ベルリンの奇跡」の立役者であった松永行、松永信夫は実兄。
人物
静岡県出身。1951年に早稲田大学4年次に堀口英雄と共に日本代表に選出。3月にインド・ニューデリーで開催されたアジア競技大会に参加し、アフガニスタン戦で代表デビューを飾った。
実兄の松永信夫も日本代表の中心選手であったが、戦時中に憲兵将校であった為、渡航許可が下りず不参加となった。
早大卒業後に堀口と共に日立製作所本社に入部。中心選手として全国リーグ創設前の日立を支えた。また1955年には東京クラブの一員として第1回都市対抗選手権優勝、翌年も大会連覇に貢献している。
現役引退後は社業に専心し、後に日立化成商事の社長を務めた[2]。
2013年3月4日、呼吸不全のため死去[3]。84歳没。
所属クラブ
- 静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)
- 早稲田大学
- 日立製作所本社
- 東京クラブ
代表歴
- 1951年アジア競技大会
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1951)
出場
出典
関連項目
外部リンク
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