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板倉勝弘

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板倉勝弘
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板倉 勝弘(いたくら かつのり)は、幕末から明治時代の大名華族。位階は従五位下[1]

概要 凡例板倉勝弘, 時代 ...

生涯

福島藩主・板倉勝俊の八男として、天保9年9月22日1838年11月8日)に誕生した[1]

庭瀬藩主・板倉勝全の養子となり、安政5年2月19日1858年4月2日)に勝全の隠居にともない跡を継いだ。慶応4年1月27日1868年2月20日)から明治2年6月27日1869年8月4日)の戊辰戦争では新政府側に与し、伊予松山藩攻めに参加した。明治2年6月17日(1869年7月25日)、版籍奉還知藩事となる。明治4年7月14日1871年8月29日)、廃藩置県によって知藩事を免官となった。その後、1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1][2]

1909年(明治42年)5月7日、72歳で死去した[1]

系譜

  • 父:板倉勝俊(1788年 - 1841年)
  • 母:杉山氏
  • 養父:板倉勝全(1830年 - 1858年)
  • 室:鉚 - 間部詮勝
  • 生母不明の子女
    • 男子:板倉勝鏤 - 襲爵。妻は子爵板倉勝弼の娘[3]。子に板倉勝豪(勝鏤伯父の子爵板倉勝貞の養子となり襲爵)[4]、板倉勝彦(勝鏤の子爵を継ぐ)[5]
    • 男子:板倉勝義
    • 長女:益子 - 酒井忠弘妻、のち離縁。井出治と再婚[6]

脚注

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