林棨
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林 棨(りん けい/りん けん、中国語: 林棨; 拼音: Lín Qǐ; ウェード式: Lin Ch'i)は、中華民国・満州国の司法官・官僚。満州国の初代最高法院院長を務めた。字は少旭。
事績
日本に留学して早稲田大学政治経済学科を卒業している。帰国後は、進士館・仕学館教習、学部参事、公立京師法政専門学校教務長、憲政編査館統計局科員などを歴任した。また、公立京師大学堂法政科監督を1909年(宣統元年)正月から1912年(民国元年)4月まで務めている[2][3]。
中華民国成立後の1912年(民国元年)5月、北京政府教育部専門教育司司長に任ぜられる。翌1913年(民国2年)9月、大理院推事と京師高等審判庁庁長になる。1918年(民国7年)1月、江蘇省高等審判庁庁長兼地方捕獲審検庁庁長署理を務めた。1921年(民国10年)5月、湖北省高等審判庁庁長に異動し、1923年(民国12年)2月まで在任している[2][3]。
満州国建国に際して1932年(大同元年)3月14日に、林棨は同国最高法院院長に任命された[4]。1939年(康徳6年)12月に退官し、井野英一が後任となった[5]。1941年(康徳8年)3月、満洲電気化学工業株式会社監事に就任しており、1942年(康徳9年)時点では在職していることが確認できる[6]。以後、その行方は不明である。
注
参考文献
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