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柏戸宗五郎 (1810年生)

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柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、文化7年(1810年) - 明治19年(1886年)3月2日)は、越後国(現在の新潟県)出身の元大相撲力士

概要 柏戸 宗五郎, 基礎情報 ...

来歴

現在の新潟県長岡市小国町上岩田出身。本名は渡邊寅治だが、平民苗字必称義務令に伴う形で、伊勢ノ海五太夫を本名にした。

天保2年(1831年)、6代伊勢ノ海(前2・柏戸宗五郎)の伊勢ノ海部屋に入門。盛岡藩抱えとなった。入門時は鯱ノ海を名乗り、その後、猫又、荒飛と改め、天保12年(1841年)閏1月場所、入幕と同時に狭布里錦太夫と改名。天保13年(1842年)、師匠の死去に伴い二枚鑑札で部屋を継承。翌天保14年(1843年)1月場所に部屋伝来の柏戸に改名。その間、後継者争いで5代遺弟子で仙台系の年寄関の戸億座衛門(元小結荒熊)と対立したが、若い柏戸が選ばれ、関の戸は廃業している[1]

弘化4年(1847年)11月場所限りで現役を引退し年寄専任となり、嘉永2年(1849年)に正式に7代伊勢ノ海を襲名。数多くの名力士を育成して伊勢ノ海一門の全盛期を迎えたほか、相撲会所では世話役(取締)の要職を務め、明治維新期の相撲界を支える。しかし晩年は、高砂浦五郎に率いられた他部屋力士らの猛反発を受け、明治13年(1880年)、会所改革の波に屈して隠居。角界の盟主の座を高砂一門に明け渡すこととなる[2]

明治19年(1886年)3月2日没[3]。満75歳。

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脚注

参考文献

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