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桂文喬
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桂 文喬(かつら ぶんきょう)は、上方落語の名跡。当代は特に代数を名乗ってはいないが、過去には3代目までの存在が確認できる。
- 初代桂文喬 - 後∶2代目桂梅枝[1]
- 2代目桂文喬 - (生没年不詳)2代目桂梅枝門下[1][2]。俗に「左官の文喬」という[2]。本名、享年ともに不詳。
- 3代目桂文喬 - (生没年不詳)2代目桂梅枝門下[2]。初め梅高、後に3代目文喬を襲名[2]。本名、享年ともに不詳。
桂 文喬(かつら ぶんきょう、1950年8月7日 - )は、神戸市長田区[要出典]出身の上方落語の落語家[3]。吉本興業所属[3]。出囃子は『本調子・まつり』[3]。本名∶中村 勝[3]。
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来歴・人物
長田小学校、飛松中学校、兵庫県立長田高等学校から大阪府立大学経済学部に進む[4]。大学時代には落語研究会に所属し[3]、教員免許を取得している[4]。
もともと教員志望であったが、3代目桂小文枝(5代目桂文枝)の子息の家庭教師を入門前から務めていた[3]。1973年2月、正式に入門[3]。入門後も家庭教師は続けたという[3]。
1976年にABC落語新人コンクールで優秀賞を受賞した[3]。
『次の御用日』『悋気の独楽』『住吉駕籠』などの古典落語を演じるほか、2007年には新作落語『研修医・山田一郎』を創作した[3]。
脚注
参考文献
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