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桂邦彦

日本のテレビプロデューサー ウィキペディアから

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桂 邦彦(かつら くにひこ、1942年6月5日[1] - )は日本テレビプロデューサー演出家。元TBSプロデューサー。神奈川県出身[1]東京都立新宿高等学校[1]日本大学芸術学部卒業[1]。趣味は相撲テニス

来歴・人物

1965年、TBS[2]に入社。以来、多くの番組を制作。主にビートたけし出演のバラエティ番組を手がけた。代表作は1986年に放送を開始した『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』。この番組の大ヒットでプロデューサーから副部長に昇進を果たす。野外で出場者に豚汁を振舞うサービスを見せた。この他に審査員や出演者としても活躍した。たけしがオールナイトニッポン担当時、桂の名前を実名でよく出して、いじっていた。

ネットチェンジによりTBSでネット開始された『ヤングおー!おー!』(MBS制作)[3]では、月1回行われていた東京収録でディレクターを担当。この時に同番組プロデューサーの林誠一(毎日放送)から「東京と二元中継でお笑い番組をやりたい」と言われ、林と共同で『サンデーお笑い生中継』を立ち上げた。MBS発ではあるものの、桂にとってこの番組は初のプロデュース作品となり、東京方司会に当時駆け出し中だったタモリを起用し、当時人気上昇中だったツービートなど浅草芸人を東京方レギュラーに抜擢した。番組そのものは7ヶ月で終了したが、この東西独特のキャスティングが後の漫才ブームにも繋がった[4]

その後、1996年から1年間のアメリカ留学を経て、2002年に定年退職、株式会社桂芸能社を東京都港区赤坂のTBSの近くに設立した。

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エピソード

ビートたけしの番組制作にしばしば携わり、「伝説のプロデューサー」などと言われることもあるが[5]、プロデュースした番組の多くは短命に終わっている。長いプロデューサー生活でヒットした番組は『風雲!たけし城』だけだった。

子供の頃から相撲が得意で、小学生の頃はクラス全員に勝ったり、隣町の町内相撲大会にまで出場して賞金を稼いだりしていた[1]。少年時代は本当に力士になりたいと思っていたこともあり、そのことを父親に打ち明けたら、猛反対されてあきらめたという[1]。『たけし城』では相撲のゲーム「相撲でポン!」に対戦相手として自ら出演。1986年9月の放送ではこれに6連勝して、たけしを驚かせたということもあった[1]1995年1997年の『オールスター感謝祭』では前任者であった蔵間竜也の病死に伴い『大相撲赤坂場所』の行司に起用された。その際、登場時のテーマ曲に使われたのは『たけし城』の番組テーマ曲であった。

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主な担当番組

TBSテレビ

レギュラー番組

スペシャル番組

  • 初笑いうるとら寄席
  • たけしの涙と笑いの謹賀新年
  • お笑いベストヒット
  • 金曜テレビの星!『ダウンタウンのいた~いスペシャル・アジアの国からコニャニャチワ!』(1993年)
  • 39時間テレビ内コーナー『目指せ次代のコント覇者! 第1回お笑いウエスタンカーニバル』
  • ウンナンお笑いバトル(初期のみ)
  • 日本一のご接待ツアー
  • 輝け!芸能人が選んだ全世界アカデミー大賞!!
  • オールスター感謝祭(1995年春 - 1997年春のみ)

その他

脚注

関連項目

外部リンク

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