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桜井雪館
日本の画家 ウィキペディアから
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桜井 雪館[1](さくらい せっかん、正徳5年(1715年) - 寛政2年2月21日(1790年4月5日))は江戸時代中期の画家。
略歴
桜井家は代々画を業とした。祖父・寛と父・擔は、常陸水戸藩主・徳川光圀が長門の雲谷寺から招いた画僧に師事したとされる[2]。この画僧は自らを雪舟9世・等禅と称しており、後に雪館が江戸に出て雪舟12世を自称する[3]根拠とした。雪館の師は水戸藩士の桜井才次郎忠重[4]で、光圀からその画力を称賛され、「桜井」と「字叔任氏」の印二顆を与えられている。
雪館は江戸に出ると雪舟の遺蹟を蒐集[5]。雪舟の粉本が箪笥に一杯になるほど熱心に研究を重ねて画法を学び、雪舟派の再興を図った。明和6年(1769年)までに門人が200人以上[5]になるほど隆盛した。最も得意としたのは山水画、次に人物画だった[6]とされる。しかし、現存する作品は極めて少ない。主な門弟に僧・月僊[7][8][9]や宮部雲錦(立原翠軒門人)・桑山玉洲などがいる。若き日の谷文晁も雪館の講義を聞いている。日頃、雪館が門弟へ説いた画の教えを次女の雪保(秋山・1754年–1824年)が原稿としてまとめ『画則』として刊行した[10]。この次女・雪保[11]、甥の雪鮮[6]も画家となった。
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刊行物
- 桜井雪館『畫則』須原屋伊八 : 須原屋茂兵衛、1776年。 NCID BB11786270。 井上金峨序(5巻6冊) 安永5年刊行[10]。
作品
参考文献
- 青木宇千、奥村意語 [編]『諸家人物志』奥村嘉七、1769年。 NCID BA4598984X。 明和6年刊行
- 大内健二『茨城の画人 : ふるさとの画家をたずねて』川又書店、1988年。 NCID BN03493566。 昭和63年刊行
- 坂崎坦『日本畫論大觀』アルス、1927年。 NCID BN08450039。 上81 昭和2年刊行[6]
- 白井華陽、近藤有芳『畫乘要略』 5巻、河内屋喜兵衞、1831年。 NCID BA54347005。 天保3年刊
- 中尾樗軒『近世逸人画史』坂崎坦 [編]、目白書院〈日本画談大観/下編〉、1917年。
- 復刻版[16]。白井華陽、中尾樗軒『画乗要略 . 近世逸人画史』 10巻、木村重圭 [編集・校訂]; 監修:小林忠, 河野元昭、ぺりかん社〈[定本]日本絵画論大成〉、1998年。 NCID BA35707872。
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脚註
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