トップQs
タイムライン
チャット
視点

梅野初実

ウィキペディアから

梅野初実
Remove ads

梅野 初実(初實、うめの はつみ、1857年1月26日(安政4年1月1日[1])- 1938年昭和13年)11月3日[2][3])は、明治期の政治家衆議院議員

Thumb
梅野初実

経歴

対馬国下県郡曽村[1]長崎県[2]下県郡曽村[3][4]仁位村、豊玉村、豊玉町を経て現対馬市豊玉町曽)で、対馬府中藩[4]・梅野益太郎の長男として生まれる[1]。漢籍を修めた[2][3]。農業を営み[2]、数年間、教育に従事した[1][4]

1885年(明治18年)上県下県両郡総町村連合会議員に就任し、同議長、徴兵参事員を務めた[1][2][3][4]。その他、村会議員、同議長にも在任[2][3]。1889年(明治22年)対馬民党を組織し、同年、長崎県会議員に選出され[1][2]6期在任した[3][4]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に長崎県対馬から憲政本党所属で出馬して初当選[1][5]。以後、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]

国政選挙歴

伝記

  • 梅野初平『梅野初実伝:対馬近代史をたずねて』梓書院、1997年。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads