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梶塚隆二

日本の軍人 (1888–1976) ウィキペディアから

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梶塚 隆二(かじつか りゅうじ、1888年5月9日[1] - 1976年5月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍軍医中将医学博士

経歴

宮城県遠田郡田尻村(現・大崎市)出身[1]宮城県立古川中学校(現:宮城県古川高等学校)、第二高等学校を経て[1]1914年東京帝国大学医学部卒業。その後陸軍軍医学校を卒業し、東京帝国大学伝染病研究所で細菌学・血清学を学ぶ[1]1924年3月29日、論文「スパスカヤに於けるパラチフスB型菌性食中毒検索例 : 竝原因食(オムレツ)の菌毒汚染動機に関する実験的研究」で医学博士号取得[2]1939年満州関東軍軍医部長。1940年陸軍軍医総監

731部隊を統括・監督する立場にあったことから戦後ソビエト連邦軍捕虜となる[3][4]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]1949年ハバロフスク裁判山田乙三陸軍大将高橋隆篤獣医中将と同じ強制労働25年の刑に処せられ服役する[3]1956年、帰国。

栄典

勲章等
外国勲章佩用允許

関連文献

  • 豊原亮「元関東軍軍医部長梶塚隆二の半生 : ソビエト抑留の真相について」『宮城県医師会報』331号、1973年2月、宮城県医師会[8]

脚注

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