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森のゆうえんち
京都府京都市にかつて存在した遊園地 ウィキペディアから
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森のゆうえんち(もりのゆうえんち)は、京都府京都市左京区八瀬野瀬町120番地にかつて存在した京福電気鉄道子会社の「比叡産業」が経営母体だった遊園地である。同社の資本金は1990年後半の時点で1000万円、京福電気鉄道の100パーセント出資、総面積は約40000平方メートル。
歴史
八瀬における遊園地は、1925年(大正14年)12月に開園した八瀬遊園地(やせゆうえんち)を起源とする[1]。戦前の八瀬遊園地では、レジャー施設のほかに、「平八茶屋」など有名な料亭が誘致・配置された[2]。
1964年(昭和39年)、旧八瀬遊園地の跡地から高野川をはさんで向かい合う形で、新たに八瀬遊園(やせゆうえん)が開園した[3]。家族向けの中規模遊園地で、開業当時は数少ない遊園地であった。モータリゼーションが一般化していなかった昭和40年代は、グランドプールとガーデンプールが年間20万人近い水泳客を集めたほか、海水魚を集めた「八瀬海水水族館」も人気を博した[4][5]。京福電鉄の経営にも寄与したが、遊園地といいながら遊具はさほど人気がなく、市民からは数少ない大型プールの印象であった。
しかしモータリゼーションの到来により、若狭方面へ海水浴に出かける市民が増加すると水泳客は徐々に減少し、他の遊園地との競争も激化して業績は低迷した。1983年(昭和58年)7月21日には遊具の総入れ替え、レストラン変更などを行い、営業をスポーツバレー株式会社に委託し、若者向けスポーツ遊園地のスポーツバレー京都として再出発を図った[6]。なお「八瀬海水博物館」はリニューアル後の1984年3月限りで閉館し、その後2012年に京都水族館が開館するまで、京都市内に水族館を名乗る施設は存在しなかった。
1999年(平成11年)3月13日には森のゆうえんちとして2度目のリニューアルを行い、メリーゴーラウンドなど子ども向けの遊具を充実させた[7]。
しかしこれらの施策によって業績が好転することはなく、京福電鉄が福井県の越前本線(現・えちぜん鉄道勝山永平寺線)で起こした列車衝突事故の影響で業績が悪化したことから、2001年(平成13年)11月30日をもって閉園した。閉園を前にした同月26日には、園内が無料開放された[8]。跡地にはリゾートトラストの大規模な会員制ホテル「エクシブ京都八瀬離宮」が2006年(平成18年)11月28日に開業している。
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主な施設
- ローラースケート
- スピンレーシング
- キャンナムカー
- ロックンロール
- パターゴルフ(9ホール/18ホール 2設備)
- バズーカ砲
- カーニバルゲーム
- スペースシューティング
- ビッグウォール
- グレートランターン
- パワーボード
- スカイサイクル
- こども遊戯
- アルカトラズ
- スカイコリドール
- レーザーガン
- ポケットバイク
- ポケットクロス
- ローリングコースター
- アクションバギー
- ファンシーサイクル
- アーチェリー
- フラワーカーニバル
- ダーツ
- グランドプール(直径50メートル、円形、入場料大人1600円、子供800円)
- ダイビングプール(25メートル、7コース、クラブ会員制、体験ダイビングは2時間5000円)
- レストラン(直営/客席数200)
- 喫茶店(直営/客席数60)
- 軽食コーナー(直営/客席数30)
- 宿泊施設(八瀬かまぶろ叡麓館)
- 料理旅館(八瀬かまぶろ喜鶴亭)
※出典:全国レジャーランド名鑑1996 [9]
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アクセス
その他
- 開業当時から一貫して京福電気鉄道の経営であるように一般には案内されているが、比叡産業が1980年(昭和55年)12月に設立。業務委託が行われ、スポーツバレー京都開園時、森のゆうえんち(時期不明)のパンフレットでは「比叡産業株式会社」の名が記されている。
- 明石家さんまと島田紳助の二人が駆け出しの頃、八瀬遊園に揃って営業で来たことがある。しかし、2人のネタを見て笑う客がいなかったため、困り果てたさんまは後日 紳助を引田天功の弟子だと紹介し「今から水中縄抜けショーをします」と発言した。その際 紳助の手足をロープでくくり、紳助をプールへ落とした。その結果 紳助は溺れ監視員に助け出された。監視員に助けられている紳助を見てさんまは大爆笑しており、後の行列のできる法律相談所やFNS27時間テレビ内で「あの時のあいつの顔、一生忘れへん!!!」とコメントしている。
- 「スポーツバレー京都」時代には、「mamiのRADIかるコミュニケーション」のKBS京都でのスポンサーだった。
- X JAPANは1987年-1989年にここでライブを行っている。またLUNA SEAも1992年にここでライブを行っておりギタリストのSUGIZOはギターに火を放ち破壊するパフォーマンスを行っている。黒夢もインディーズ時代の1992年と1993年にライブ出演している。
- 1985年8月11日、当時まだブレイク前のレベッカとBARBEE BOYSが園内(スポーツパレー京都当時)にあった野外ステージでジョイントライブを行った場所である。
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関連項目
脚注
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