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森川俊方
日本の江戸時代後期~明治時代前期の大名・知藩事 ウィキペディアから
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森川 俊方(もりかわ としかた)は、下総生実藩の第12代(最後)の藩主。
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嘉永3年(1850年)1月、出羽松山藩の第6代藩主酒井忠方の六男として生まれる。文久2年(1862年)12月16日、生実藩の第11代藩主森川俊徳が死去したため、その末期養子となって家督を継いだ。12月23日、将軍徳川家茂に拝謁する。12月28日、従五位下・内膳正に叙位・任官する。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、2月に家臣を上京させて新政府に恭順を誓い、4月16日に上洛した。閏4月29日に帰国の許可を得た。10月7日に東京に入り、12月には市中取締役を務めている。明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還で生実藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免職された。
明治10年(1877年)11月7日に死去した。享年28。
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系譜
父母
正室
- 牧野鈺子 ー 牧野節成の五女
子女
- 森川恒(長男)
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