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楠木正時

南北朝時代の武将 ウィキペディアから

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楠木 正時(くすのき まさとき)は、南北朝時代武将楠木正成の次男で、正行の弟、正儀の兄。正平3年/貞和4年1月5日1348年2月4日)、四條畷の戦い南朝軍の副将として戦い、総大将の兄と共に討死した。

概要 凡例楠木 正時, 時代 ...

生涯

正平3年/貞和4年1月5日1348年2月4日)、南朝の楠木正行と北朝の高師直の間で、四條畷の戦いが発生[1]。正行と共に弟も戦死した(『園太暦』『阿蘇文書』)[1]。諱は不明だが、その通称は「次郎」である(『薩摩旧記』)[1]

一次史料から確実にわかるのは以上が全てであり、や享年すら不明である[5]。時代が近い二次史料としては、諱は洞院公定尊卑分脈』から「正時」と確認することができる[2]。通称の漢字はこちらでは「二郎」となっている[2]

なお、『観心寺文書』中に、正平4年8月29日付左衛門尉(花押)橋本九郎左衛門入道宛の書状および正平5年4月13日付左衛門尉(花押)観心寺寺僧宛の執達状があり、観心寺の寺伝はこれを正時のものと伝えているが、時期から言って実際は弟の楠木正儀のものである[5]

明治22年(1889年)、四條畷神社が建立され、その祭神の一柱となった[6]。大正3年11月19日贈正四位[3][6]。  

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登場作品

桜嵐記宝塚歌劇月組公演)(2021年、演:鳳月杏

脚注

参考文献

関連項目

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