トップQs
タイムライン
チャット
視点
楠本研
ウィキペディアから
Remove ads
楠本 研(くすもと けん、1965年12月25日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー。
来歴
13歳でグラブを握り、同志社大学[1]時代は谷口徹と同期で[2]、1984年・1987年に関西学生会長杯、1985年・1987年に関西インカレ、1986年には関西学生連盟杯[3] [4]で優勝。
1987年には兵庫県オープンでベストアマを獲得[5]したほか、1988年のデサント大阪オープンでは初日に68をマークして杉原輝雄・宮本省三に次ぐと同時に井戸木鴻樹・山本善隆と並んでの4位タイ[6]に着けた。
1988年[3]・1990年には関西アマを制し、1990年にプロテストで合格[4]。
1990年のデサント大阪オープンでは初日を木本挙国・杉原・山本善・金山和雄・堀内工・松井角次と共に68をマークして5位タイ[7]でスタートし、最終日も69をマークして川上実と並んでの6位タイ[8]に終わった。
1994年にはハワイパールオープンでは日本勢で佐々木久行に次ぐ4位タイ[9]、帰国後の東建コーポレーションカップでは佐々木・小達敏昭・浜野治光と並んでの7位タイ[10]に入った。JCBクラシック仙台では2日目に通算7アンダーで首位タイ[11]になり、ゴルフダイジェストトーナメントでは初日に5アンダーで首位タイに立った[12]。大京オープン初日にプレーの合間にも笑顔で余裕を見せ8アンダーで単独首位に立ち[13]、3日目には8番でバーディーパットを外し悔しがるなど通算12アンダーで2位タイ[14]に着ける。最終日には最終18番で外せばシード落ちの5mのバーディーパットを決めて2位に入り、大逆転シード入りが話題になった[4]。
1995年には千葉オープン[1]を制すが、1996年にはグラブを握ると、原因不明の左腕の震えを発症[4]。全国の病院を回ったが、医学的には治らないと言われ、2002年のよみうりオープン[15]を最後にレギュラーツアーから引退[4]。
Remove ads
主な優勝
- 1995年 - 千葉オープン
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads