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楽寿園
静岡県三島市にある公園・動物園 ウィキペディアから
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楽寿園(らくじゅえん)は、静岡県三島市にある市営の有料施設で、公園と動物園で構成される。国の天然記念物と名勝の指定を受け、またジオサイトとして地形の特徴を認められている。
歴史

古墳時代の居住地の跡はみられないが、墓地の形跡はあり、近くに2基の古墳が確認されている[2]。現在の楽寿園のある場所は古くは小浜山(こはまやま)と呼ばれ、江戸時代まで旧愛染院[注釈 1]、浅間神社、広瀬神社の社寺域であった[1]。
1890年(明治23年)、この場所に小松宮彰仁親王(1846年–1903年)の別邸が造営され[3][7]、1894年の日清戦争開戦(明治27年)を挟んで彰仁の没後、1911年(明治44年)に韓国王世子である李垠の別邸[8]となり、昌徳宮と呼ばれた[注釈 2]。
1927年(昭和2年)、昌徳宮は伊豆半島出身の資産家である緒明圭造[14][注釈 3]へ売却された。三島市は1952年(昭和27年)に敷地を購入し、同年7月15日から市立公園として一般公開された[1]。
地形を生かした日本庭園と共に小規模な遊園地と動物園も併設される。かつてインドゾウやキリンなどの大型動物も飼育されたこともあった[2]。2011年(平成23年)6月26日には開園以来2000万人の入園者を記録し[16]、開園70周年の2022年、6月18日に入園者数2300万人に達した [17]。
天然記念物、名勝
小浜池(こはまがいけ)と周囲の自然林・植生を含む庭園は、1954年(昭和29年)に国の天然記念物[18]および名勝に指定された[注釈 4]。
ジオパーク
2012年(平成24年)9月24日に、伊豆半島ジオパークのジオサイトの指定を受けている[23]。
楽寿園の地形をつくる三島溶岩流[24]は、下層部が約1万7千年前、上層部が約1万500年前に、それぞれ富士山の噴火で流出した[25]した露頭である。
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主な施設
楽寿館
1890年(明治23年)に建てられた京都風の高床式数寄屋造りの建物[26]。内部は一般公開され、滝和亭などに帝室技芸員6名を含む明治時代の画家の作品を展示[26]。
小浜池
小浜池(こはまがいけ)は、楽寿園の敷地内南側にあり湧水をたたえ、その水位は季節によって変化し、降水量の多い夏期に増加、冬季に減少する。かつては三島湧水群を代表する水量を誇ったが、1962年(昭和37年)頃から湧水の枯渇が重なり[27]、工業用水の汲み揚げとの関係が指摘されている[28]。
名称は三嶋大社の祭典に由来し、沼津の千本浜で浜下りを行う大祭に対して、小祭は小浜で神輿を浜に下ろしたことから「小浜池」と呼ばれるようになったとも言われている[2]。蓮沼川(宮さんの川)と源兵衛川の起点である。
この小浜池では1930年(昭和5年)にミシマバイカモ(Ranunculus nipponicus var. japonicus)が発見されている[29]。
三島市郷土資料館
三島市郷土資料館は、三島市周辺地域の歴史・文化・人々の暮らしを紹介する博物館である。入館料は無料。
蒸気機関車の静態保存
→車両については「国鉄C58形蒸気機関車」を参照
楽寿園の園内には1972年(昭和47年)からC58形322号機が静態保存されている[30]。通常はボランティアが清掃・管理しており、旧国鉄やJRのOBでつくる「東海鉄道OB会三島支部」が春と秋の年2回拭き掃除などを行っている[30]。
どうぶつ広場
園内にある小動物園。
どうぶつふれあい広場
来園者と動物がじかに触れ合う広場。
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風景
- 正門脇の案内(2008年6月18日撮影)
- 正門近くの歩道
- 楽寿館と小浜池、湧水が枯渇している(2008年6月18日撮影)
- 庭園(2008年6月18日撮影)
- 湧水による小川
- のりもの広場
- 動物ふれあい広場
- C58形322号機
脚注
関連項目
外部リンク
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