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樋川新一
日本の実業家、経営者 ウィキペディアから
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樋川 新一(といかわ しんいち、1970年〈昭和45年〉6月16日 - )は、日本の実業家、経営者。株式会社樋川自動車および有限会社リンゴミュージック社長。
来歴
生い立ち
青森県弘前市で生まれる。幼少期は野球選手を目指していたものの、故障により吹奏楽部に転向。音楽教師である藤本盛三の指導により、小学6年生の頃に全国大会優勝を果たした[1]。
高校卒業後、法政大学進学を機に上京[2]。卒業後はエンタメ関連企業を目指すも叶わず、自動車メーカーに就職[3]。26歳の頃、地元弘前で父親の家業である樋川自動車を継ぐことを決め、弘前に戻る[3]。
リンゴミュージック設立
弘前に戻った樋川は、若者が減り、繁華街である土手町さえもが寂しくなっている事実に愕然とする[4]。一方、「愚痴を言って慰め合いながら、残りの人生を終わるなんて絶対に嫌だ。」と感じ[5]、「自分も楽しみながら地元を元気にしたい。地域がワクワクするような行動を起こしたい。」という強い思いがこみ上げたという[4]。
当初は弘前の津軽三味線に着目したものの、伝統芸能ゆえのハードルが高く断念。その頃、モーニング娘。が幅広い年代の人気を集めており、ダンスや歌のアイドルなら、小さい子から高齢者まで、皆で応援できて一緒に元気になれるに違いないと考えたという[5]。
こうして、有志4名で弘前アクターズスクールが設立され[4]、後に有限会社リンゴミュージックとして会社化された。
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リンゴミュージック
リンゴミュージックは、青森県弘前市の芸能プロダクションおよび芸能スクールである。
概要
同社のキャッチコピーは、「りんごのまちから、夢を世界に届けます…。青森県に生きる、ヒト、モノ、コトをユーモアと情熱でプロデュース。青森県に生まれたご縁を生かし、地球に住むすべての人たちの役に立ちたい。」である[6]。
同社の特徴は、第一に生徒たちの人格形成や郷土愛の涵養を重視している点、設立以来月謝無料を貫いている点である[7]。
樋川の「人として二面性があるようでは本物にはなれない」という信条から、あいさつをはじめ、規律の順守は徹底しており、お寺での合宿で座禅を組み、マラソンをし、箸の持ち方から指導される[1]。また、スクール生の指導は基本的に先輩が後輩に教える方法を取っており[5]、芸能活動のほか、各種施設への慰問活動や農作業の手伝いも行う。
事務所の収益は、作品やグッズ、出演料や広告料から賄われている。
沿革
事業内容[6]
- アーティストマネジメント
- 著作権管理業務(JASRAC会員)
- 講演会
- テレビ・ラジオCM企画制作
- 商品企画&ブランディングコンサルタント
- 新聞広告、TV-CM、CDジャケット、Webデザイン
- 販売促進に関わる広告物全般の企画からデザイン、印刷
- マスメディア広告代理業務
- ロゴマーク、キャラクター、商標デザイン
- CMソング・社歌企画制作
主な所属タレント
過去に所属していたタレント
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脚注
関連項目
外部リンク
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