トップQs
タイムライン
チャット
視点

樋渡次右衛門

ウィキペディアから

Remove ads

樋戸 次右衛門(ひわたし じうえもん、1864年6月22日元治元年5月19日[1] - 1934年昭和9年)10月31日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

鹿児島県出身[2]。後の揖宿郡頴娃町(現南九州市)生まれ[3]攻玉社、三田英学塾で学び、アメリカへ留学する[2]。小学校教員、英語教師となり、頴娃村会議員、同助役、同学務委員、同農会長、鹿児島県会議員、同参事員を務める[2]。また、農業を営み、鹿児島県茶葉組合連合会議所会頭、福徳生命保険(株)鹿児島出張所長となる[2]

1920年第14回衆議院議員総選挙において鹿児島3区から立憲政友会公認で立候補して当選する[4]。衆議院議員を1期務め、1924年第15回衆議院議員総選挙では政友本党から立候補したが落選した[5]。1934年に死去した。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads