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樺皮写本

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樺皮写本
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樺皮写本(かばかわしゃほん、英語: Birch bark manuscript)または白樺文書(しらかわもんじょ、しらかわぶんしょ、ロシア語: Берестяные грамоты)は、白樺などの樺皮の内層の部分に書かれた文書であり、の大量生産が出現する前は筆記に一般的に使用されていた。白樺などの樹皮が筆記用具として使用されたという証拠は、何世紀にもわたってさまざまな文化に遡る[1]

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樺皮に書かれたパーニニの文法書
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ノヴゴロドの少年オンフィームが残した樺皮文書(13世紀

このような最古の写本は、西暦約1世紀、現在のアフガニスタンで発行された多数のガンダーラ語仏教写本である[2]。これらには、法句経(ダンマパダ)、犀経、アヴァダーナ阿毘達磨(アビダルマ)の経典を含む仏陀の説話など、重要な仏教経典の既知の最古のものが含まれている。

ブラーフミー文字で書かれたサンスクリット語の樺皮写本は、西暦最初の数世紀のものと推定されている。カーリダーサ(西暦4世紀頃)、スシュルタ(西暦3世紀頃)、ヴァラーハミヒラ(西暦6世紀)などの初期のサンスクリット語作家数人は、写本に樺皮を使用したことについて言及している。ヒマラヤ樺(Betula utilis)の樹皮は、インドネパールで今でも神聖なマントラを書くために使用されている。

ロシアヴェリーキー・ノヴゴロドで発見された文書が、およそ西暦9世紀から15世紀のものと推定され、最近特に注目されている。これらの文書のほとんどは、少年オンフィームを含むさまざまな人々が古ノヴゴロド方言で書いた手紙である。

また、アイルランド語の固有の文字体系であるオガム文字は、「木のアルファベット」とも呼ばれ、伝統的に神オグマに由来すると考えられており、オグマ神はルーに警告するために樺の木に禁止令を書いた。 この禁止令の本文は、『バリーモートの書』(Book of Ballymote)に記載されている。オガムの最初の文字はベイト(beith)で、それは「白樺」を意味する。

20世紀になっても、ソビエト連邦スターリン主義政権の弾圧下、シベリア強制収容所に収容された人々は、紙が入手できなかったので、故郷の愛する人たちへ手紙を書くために樺皮を使った例がある。ソ連により収容となったラトビア人の手紙は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として登録されている[3]日本でもシベリア抑留中に瀬野修が『白樺日誌』として和歌集を書いており、世界の記憶に登録されている[4][5][6]

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参照項目

関連項目

脚注

外部リンク

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