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橘義通

平安時代中期の貴族・歌人。父は橘為義(丹波守)。正四位下・筑前守。子に橘資成(大和守、従五位上、子に資隆(左衛門尉)、資親(造酒佑))、家成(伊勢守) ウィキペディアから

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橘 義通(たちばな の よしみち)は、平安時代中期の貴族歌人丹波守橘為義の子。官位正四位下筑前守

概要 凡例橘義通, 時代 ...

経歴

寛弘5年(1005年)正月、蔵人所雑色に補任され[1]、寛弘7年(1007年)8月の除目左兵衛少尉に任ぜられた[2]。寛弘9年(1012年)4月、蔵人・兵部丞であった義通は禁色を聴される[3]長和2年(1013年)の春頃には、式部丞に任ぜられた。

左兵衛尉を経て、乳母子として敦成親王家の蔵人を務めるなど、親密な繋がりがあった親王が後一条天皇として即位した後の寛仁3年(1019年)3月、昇殿を聴された[4]治安3年(1023年)頃には備後守を務めている。また、長元4年(1031年)には少納言に義通なる人物が就いているが、橘義通かどうかは不明である[5]

その後、主殿頭を経て、筑前守に転じるが、在任中の治暦3年(1067年)2月17日、卒去。『後拾遺和歌集』に二首が入集する勅撰歌人でもあった。

系譜

  • 父:橘為義
  • 母:不詳
  • 妻:小野伝説の娘
  • 妻:藤原挙直の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:橘資成
    • 男子:橘義清

脚注

参考文献

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