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正木安左衛門
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正木 安左衛門(安左衞門、まさき やすざえもん、1840年9月27日(天保11年9月2日[1])- 1913年(大正2年)6月18日[1][2][3])は、明治期の地主、農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・徳三郎、徳次郎[1]。
経歴
山城国乙訓郡今里村[1](京都府[2]乙訓郡乙訓村[3]字今里[1]、長岡町を経て現長岡京市)で、地主、農業・正木安兵衛(旧姓・山脇)、りう(祖父・安兵衛長女)の長男として生まれる[1]。漢学、詩文、法学、政経学を修めた[1][2][3]。
1876年(明治9年)5月、乙訓郡第三区長に就任[1][2][3]。兼学区取締、同郡第四組戸長兼学区取締、乙訓郡書記を歴任[1][2][3]。1882年(明治15年)7月、京都府会議員に選出され、通算3期在任して[1]、1892年(明治25年)2月に辞任[1]。
1889年(明治22年)4月、乙訓村会議員に就任[1][2]。乙訓郡農会長、乙訓村勧農会長、乙訓郡農談会長、京都府農会議員を務め[1][2][3]、農業振興に尽力[1]。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(京都府第3区、 自由党)で落選したが[1][4]、1892年2月の第2回総選挙(京都府第3区、弥生倶楽部)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
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脚注
参考文献
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