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武川寿輔

日本の陸軍軍人、教育者 ウィキペディアから

武川寿輔
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武川 壽輔(むがわ じゅすけ[1]1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人教育者。最終階級は陸軍少将兵庫県立赤穂中学校(現:兵庫県立赤穂高等学校)の初代校長。

概要 武川 寿輔(むがわ じゅすけ), 生誕 ...

略歴

福島県安積郡福良村出身。父は旧会津藩藩士で県会議員の武川定八。安積中学から陸軍士官学校に進み、1897年(明治30年)卒業(9期)。1898年(明治31年)歩兵少尉に任官。陸軍大学校在学中に歩兵第27連隊の中隊長として日露戦争に出征[2]旅順攻囲戦に加わり203高地の攻防戦で負傷している。

戦後陸大(18期)を卒業し、教育総監部課員、歩兵第57連隊大隊長、第13師団東京衛戍総督部の各参謀を経て歩兵第3連隊の連隊長に就任する。部下に秩父宮雍仁親王がいた[2]第20師団参謀長を経て1923年(大正12年)8月6日少将へ昇進するとともに歩兵第39旅団長となり、翌年予備役編入となる。

その後、安積中学の同級生であった小西重直らの推薦を受け、兵庫県立赤穂中学校校長に就任した。武川は赤穂藩に流刑された山鹿素行と同郷という縁があり、赤穂義士会会長を務めている。赤穂城内には武川の頌徳碑が建立され[3]、没後50年に際し『武川先生の教育と思い出』が出版された。"やれば出来る。我に力あり"が口癖であった。稚松会会員[4]

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著書

  • 歩兵野外必携』 蜻蛉舎、1908年
  • 軍人精神修養訓』 軍需商会出版部、1909年
  • 『軍人勅諭訓話資料』 成武堂、1942年
  • 『日露戦争の思い出』 武川先生顕彰実行委員会、 1989年

脚注

参考文献

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