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歴代の中国の国歌

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歴代の中国の国歌(ちゅうごくのこっかのれきし)は、中国国家象徴となる歌を指す。1911年、清朝政府は『鞏金甌』を国歌に定め、中国歴史上初の公式法定国歌となった。中華民国の成立後、多くの公式及び非公式の国歌が登場し、1928年の国民政府北伐成功後、『黄埔軍校訓詞』が中華民国の国歌に定められた。一方、中華人民共和国は1949年の成立後、『義勇軍行進曲』を国歌として採用した。

大清

19世紀末から20世紀初頭に起源を持つ。1789年のアメリカ独立戦争およびフランス革命の開始以降、世界各国が国の象徴として国歌を制定し始め、清朝もそれに倣った。

普天樂(半公式)

1878年(光緒4年)、清朝の外交官の曾紀澤がイギリス、フランスに出使し、その2年後にはロシア公使も兼任した際に『普天樂』という曲を作曲し、「国楽」の草案として朝廷に提出したが、承認は得られなかった。ただし海外では国歌として演奏されていた。テンポが遅すぎるとしてしばしば批判された[1]。普天樂の完全な歌詞は現存しないが、「一统旧江山,亚细亚文明古国四千年!最可叹:犹太、印度与波兰,亡国恨,谈之心寒!」などの救亡を意味する文句を含んでいた[2]

華祝歌(半公式)

聖天子
奄有神州
聲威震五洲
德澤敷於九有
延國祚
天長地久
和祥臻富庶
百穀盡有秋
比五帝
邁夏商周

梯山航海
萬國獻厥共球

李中堂樂(半公式)

金殿當頭紫閣重
仙人掌上玉芙蓉

太平天子朝元日
五色雲車駕六龍

頌龍旗(半公式)

於斯萬年
亞東大帝國
山嶽縱橫獨立幟
江河漫延文明波
四百兆民神明冑
地大物產博

揚我黃龍帝國徽
唱我帝國歌

鞏金甌(公式)

鞏金甌
承天幬
民物欣鳧藻
喜同袍
清時幸遭
真熙皞
帝國蒼穹保

天高高
海滔滔
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中華民国(北洋政府)

要約
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五族共和歌(1912年-1913年)

中華民国臨時政府は臨時国歌として、沈恩孚作詞、作曲が沈彭年の国歌草案『五族共和歌』を公布した[3]

亞東開化中華早,
揖美追歐,
舊邦新造。
飄揚五色旗
民國榮光,
錦繡河山普照。
吾同胞,
鼓舞文明,

世界和平永保。

卿雲歌(第一次)(1913年-1915年)

卿云歌は第一次と第二次の二つのバージョンに分かれ、いずれの歌詞も『尚書大伝』虞舜篇から採られている。

第一次卿云歌は1913年4月8日に中華民国第一届国会の開会式で臨時国歌として使用された。後半の二句は汪榮寶が付け加え、曲はベルギー人のジャン・オストンが作曲した。

卿雲爛兮,
糺縵縵兮,
日月光華,
旦復旦兮,
日月光華,
旦復旦兮。
時哉夫,天下非一人之天下也。

中華雄立宇宙間(1915年-1921年三版)

中華民国大総統袁世凱は1915年5月23日に大統領令をもって採用を宣布し、曲は王露が作曲、歌詞は蔭昌が作詞した。

中國雄立宇宙間,
廓八埏,
華胄來從崑崙巔,
江湖浩蕩山綿連,
共和五族開堯天,
億萬年。

袁世凯が称帝した後、同年12月19日に改められた歌詞:

中國雄立宇宙間,
廓八埏,
華胄來從崑崙巔,
江湖浩蕩山綿連,
勳華揖讓開堯天,
億萬年。

袁世凯下台後、北洋政府は第三版の国歌を発行した歌詞:

中国雄立宇宙间,

万万年!

保卫人民中不偏,

诸业发达江山固,

四海之内太平年

万万年!

尽力中华(1919年)

1919年、北洋政府教育部は赵元任が作詞作曲した「尽力中华」を暫定国歌として採用することを決定し、その歌詞は以下の通りである。

听!我们同唱中华,啊!中华,啊!中华,
听!君不闻亚东四万万声的中华,啊!中华,
都同气、同声、同调、同歌中华,啊!中华,
来三呼万岁中华,啊!中华,啊!中华。
听!君不闻亚东四万万声的中华,啊!中华,
都同气、同声、同调、同歌中华,啊!中华。

看!我们唤醒中华,啊!中华,啊!中华,
看!君不见亚东四万万人的中华,啊!中华,
都是同种、同胞、同志、同心的中华,啊!中华,
来发愤尽力中华,啊!中华,啊!中华。
看!君不见亚东四万万人的中华,啊!中华,
都振起精神来振作振兴中华,啊!中华,
同心尽力中华。

楽譜は『赵元任音乐作品全集』(編者:赵如兰、上海音乐出版社、1987年5月初版)に収録されている。この曲の歌詞と和声は赵元任が1914年前後に作成したもので、旋律はもともと焰口調の一種である。1920年にはアメリカの中国学生連盟の冊子『Songs and yells of the Chinese Student Alliance』に掲載された[4]

卿雲歌(第二次)(1921年-1928年)

卿云歌は第一次と第二次の2つのバージョンに分かれ、いずれの歌詞も尚書大伝虞舜篇から採られている。

1919年、北洋政府は『尚書』中の卿云歌に曲をつけて国歌とし、これが第二次卿云歌である。

卿雲爛兮,
糺縵縵兮,
日月光華,
旦復旦兮,
日月光華,
旦復旦兮。

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中華民国

国民革命歌(非公式)(1926年)

国民革命歌黄埔軍官学校の軍官の廖乾五によって作られ、1926年7月1日に発表された。旋律は童謡『フレール・ジャック』と同じであり、『打開蚊帳』(広東の童謡)や児歌『两只老虎』の原曲でもある[5]

打倒列強,打倒列強,
除軍閥,除軍閥;
努力國民革命,努力國民革命,
齊奮鬥,齊奮鬥。

工農學兵,工農學兵,
大聯合!大聯合!
打倒帝國主義,打倒帝國主義,
齊奮鬥,齊奮鬥。

打倒列強,打倒列強,
除軍閥,除軍閥;
國民革命成功,國民革命成功,

齊歡唱,齊歡唱[6]

中華民国国歌

中華民国国歌すなわち三民主義歌の歌詞は中国国民党総理である孫文が作成し、胡漢民戴季陶廖仲恺邵元冲らが代筆した。初出は1924年6月16日、総理の孫中山広州黄埔陸軍軍官学校開校式で師生に対して行った訓示である。

国民党北伐の成功後、国民党はこの訓示を党歌とし、伴奏の公募を行った。程懋筠の作曲が139人の応募者の中から選ばれ、銀元500元の賞金を受け取った。

1930年3月24日、多くの国民党員が党歌を国歌として使うことを提案したが、一党の象徴を国全体の代表とすることに反対の声もあり、国歌制定研究委員会が設立された。後に同委員会は国民党党歌の採用を支持した。

1937年6月3日に国民党中央はこの提案を承認し、同年正式に中華民国の国歌となり、現在に至っている。

三民主義,吾黨所宗;
以建民國,以進大同。
咨爾多士,為民前鋒;
夙夜匪懈,主義是從。
矢勤矢勇,必信必忠;
一心一德,貫徹始終。

割拠政権

中華ソビエト共和国

1931年に中華ソビエト共和国が成立した際、国歌としてインターナショナルが採用された[7]

満洲国

満洲国の国歌(1933年版)
満洲国の国歌(1942年版)

汪兆銘政権

  • 中華民国国歌
  • 東亞民族進行曲』(非公式)

中華人民共和国

管弦楽演奏版

中華人民共和国の国歌は『義勇軍進行曲』であり、1949年の建国以降、現在に至るまで使用されている。

もとは映画『風雲児女』の主題歌であり[8]、1935年に田漢が作詞、聶耳が作曲した。また、中華民国国民革命軍第200師の軍歌でもあった[9][10][11][12]

起来!不愿做奴隶的人们!
把我们的血肉,筑成我们新的长城!
中华民族到了最危险的时候,
每个人被迫着发出最后的吼声。
起来!起来!起来!
我们万众一心,
冒着敌人的炮火,前进!
冒着敌人的炮火,前进!
前进!前进!进!

马叙伦の提案により、1949年9月27日に中国人民政治协商会议第一届全体会议は『中華人民共和国の首都、紀年、国歌、国旗に関する決議』を採択し、『中華人民共和国の国歌が正式に制定されるまで、義勇軍進行曲を国歌とする』ことを決めた。

文化大革命の時期、歌詞作者の田漢は反逆者として告発され投獄され、国歌は純粋な演奏曲となり、一般には国歌を歌わなくなった。この間、『東方紅』が実質的な国歌として用いられた。文化大革命終結後の1978年3月5日、第5回全国人民代表大会第1回会議において歌詞を集団で改訂した『继续革命的战歌』が中華人民共和国の国歌として正式に採択された[13]。歌詞は以下の通りである。

前進!各民族英雄的人民!
偉大的共產黨,領導我們繼續長征!
萬眾一心奔向共產主義明天,
建設祖國保衛祖國英勇的鬥爭。
前進!前進!前進!
我們千秋萬代,
高舉毛澤東旗幟,前進!
高舉毛澤東旗幟,前進!
前進!前進!進!

1978年12月、中共十一届三中全会の開催後、田汉の冤罪が晴れられた。1982年12月4日、第5回全国人民代表大会第5次会議は決議を採択し、1978年3月の全国人民代表大会による歌詞を撤回し、原曲・原詞の義勇軍進行曲を中華人民共和国の国歌として復活させた。2004年3月14日、第10回全国人民代表大会第2次会議は義勇軍進行曲を正式に国歌として憲法修正案(第4章第136条第2款)に明記した:「中華人民共和国国歌は義勇軍進行曲である」。

初期には中華人民共和国に国歌法が存在しなかったが、2017年10月1日に正式な国歌法が施行され、国歌として義勇軍進行曲が全国的に法律で定められた(1949年9月27日の中国人民政治協商会议による暫定措置以来の措置を改める形で)。

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脚注

関連項目

外部リンク

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