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毛利政苗
長門清末藩3代藩主。毛利元平の七男 ウィキペディアから
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毛利 政苗(もうり まさなり)は、長門国清末藩3代藩主。諱ははじめ父・毛利元平(匡広)の名前より字を取って匡平(まさひら)、のち政苗に改めた。
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経歴
享保3年(1718年)2月21日、第2代藩主・毛利元平の七男として生まれる。同年のうちに父は長府藩毛利家を継ぎ、匡広と諱を改めた。享保14年(1729年)、父の死去により、長府藩主を継いだ兄の師就から1万石を分与され、前述の通り生まれた頃(享保4年(1719年))から断絶していた清末藩を再興させ、その第3代藩主となった。享保15年(1730年)12月に叙任する。しかし度重なる風水害により、藩財政は悪化した。安永4年(1775年)7月29日、七男・匡邦に家督を譲って隠居し、覚翁と号した。天明元年(1781年)7月23日、清末にて死去した。享年64。
系譜
- 父:毛利匡広(元平)(1675-1729)
- 母:性善院 - 飯田氏
- 正室:光相院(1723-1746)- 松平忠雅の娘
- 三女:常子(1743-1799) - 織田輔宜継室、のち船越景順継々室
- 三男:某(?-1744)
- 側室:浄照院 - 今井氏
- 側室:尾坂氏
- 四男:源之助(1746-1754)
- 四女:兼子(1748-1772) - 戸川逵恒正室
- 六男:豊五郎(1757-1759)
- 側室:中川氏
- 五男:毛利元貞(1747-1762)
- 側室:松井氏
- 五女:庫子(1754-1772) - 桂厳院、池田政直正室
- 側室:妙心院 - 平井氏
- 六女:清子(1758-1759)
- 七男:毛利匡邦(1761-1832)
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