トップQs
タイムライン
チャット
視点

松平忠雅

江戸時代前期から中期の大名。出羽山形・備後福山を経て伊勢桑名藩初代藩主。奥平松平家3代。 ウィキペディアから

松平忠雅
Remove ads

松平 忠雅(まつだいら ただまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名出羽国山形藩2代藩主、備後国福山藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。官位従四位下左近衛少将親藩奥平松平家3代。

概要 凡例松平忠雅, 時代 ...
Remove ads

経歴

天和3年(1683年)9月24日、松平清照の長男として誕生。病弱であった清照に代わって入嗣した叔母婿の忠尚を差し置き、忠雅が祖父・忠弘の養嗣子として元禄5年(1692年)に家督を継いだ。

元禄13年(1700年)、山形より福山へ移封する。10年後の宝永7年(1710年)には伊勢桑名藩へ移封する。山形・福山各藩の治世はいずれも短期間のため、記録がほとんど残っていないが、桑名の地では忠雅以降、7代が113年に亘って治めた。この間、桑名藩政の改革や藩校進脩館の基礎を築くなど、評価は高い。

延享3年(1746年)6月20日に死去した。享年64(満62歳没)。跡を三男・忠刻が継いだ。

系譜

父母

正室

側室

子女

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads