トップQs
タイムライン
チャット
視点

民主的教育

ウィキペディアから

民主的教育
Remove ads

民主的教育(みんしゅてききょういく)は、学生が自らの学習を管理し、教育環境のガバナンスに参加できるよう民主的に組織されたフォーマル教育の一形態。民主的教育はしばしば、特に解放的な性格をもち、学生の声が教師の声と同等に扱われる[1]

Thumb
民主的運営で知られるシカゴシャイマー・グレート・ブックス・スクール英語版で行われるディスカッション授業

民主的教育は公民教育と区別される。公民教育は(民主的)市民性の理論的・政治的・実践的側面およびその権利義務に関係するのに対し、民主的教育は教育の場が民主的に運営されていることを意味する。

理論

1693年、ジョン・ロックは『教育に関する考察』を刊行した。彼は児童教育を論じるなかで次のように述べる。

彼らが学ぶべき事柄のいずれも、重荷になったり、宿題として押しつけてはならない。そのように提案されたものは、たちまち厄介なものとなり、たとえ以前には喜びや無関心の対象であっても、心はそれに嫌悪を抱く。子供に、毎日一定の時刻にコマを回せと命じてみよ。やりたいか否かにかかわらず、それを義務として、午前と午後に何時間も費やすよう求めてみよ。そうすれば、どのような遊びであれ、このやり方ではすぐに飽きることがわかるであろう。[2]

ジャン=ジャック・ルソーの教育書『エミール』は1762年に初版が刊行された。彼が例示に用いる架空の弟子エミールは、自ら有用と認めるもののみを学ぶこととされた[3]。彼は学びを楽しみ、自己の判断と経験に依拠することを習得すべきだとされた。ルソーは「家庭教師は箴言を押しつけてはならない。それらが発見されるに任せるべきである」[4]と記し、エミールに科学を学ばせるのではなく、科学を発見させることを勧めた[5]。また、読書を個人的経験の代替としてはならないとし、読書は思考することを教えるのではなく他者の思考の使用を教えるにすぎず、多くを信じさせるが何ものも真に知ることを教えないと述べた[6]

ジョン・デューイは、最も影響力の大きい米国教育思想家の一人と見なされている[7]。彼は進歩主義教育を主張し、民主主義に備えるための教育を唱え、その理念を実地で検証・評価するためにシカゴ大学付属実験学校英語版を設立した[8]。彼の教育観は新教育運動に影響を与え、学校における民主的手続きの実施の重要性と、健全な民主主義を維持する市民を育成するうえで学校が果たす役割の重要性を強調した[9]。これらの理念の一部は、上記の実験学校で試行された[10]

Remove ads

実践

要約
視点

ジョン・デューイが創設したシカゴ大学付属実験学校(1896–1903)は、高度に参加型のアプローチを通じて民主的実践を導入し、学生が学習活動の計画・目標設定・進捗評価英語版に積極的に関与した。伝統的なトップダウンの教授ではなく、教師は案内役・ファシリテーターとして振る舞い、学生に協働プロジェクトや集団意思決定への参加を促した。学校は、料理木工園芸などの実践的活動を中心に学習を編成し、協力共同責任英語版を育んだ。定期的なコミュニティミーティングは学校の諸決定に学生を関与させ、プロジェクト型学習は学生が協力して実社会の課題を解決することを促した。協働的問題解決、共同意思決定、社会的責任の直接経験を通じて民主的習慣を涵養する小さな民主社会を形成した[11]

少なくとも近代の民主国家の成立以降、教育者政治家活動家は、孤児院、子供共和国、学校において、子供のための民主的環境を試行してきた[12]

子供共和国

過去の教育思想が主として上流階級の子どもに向けられていたのに対し[13]レオナール・ブルドン仏語版およびウィリアム・ジョージのような教育者は、すべての人々、とりわけ下層階級に教育機会を提供しようと試み、その目的は民主的・倫理的価値の保護と涵養にあった。

彼らは、それぞれの民主国家(フランス革命後のフランス米国)からなじみのある仕組みに倣って、児童養護施設の子供や若者を民主的に組織化した。。ブルドンのソシエテ・デミュラシオン英語版保守反動期により早期に閉鎖されたが[14]ジョージ子供共和国英語版は(理念は変化しつつも)今日も存続しており[15]、子供共和国および民主的学校英語版における民主的教育の成功の伝統を拓いた[16]

同施設内で、ジョージ子供共和国の子どもたちは米国市民とほぼ同等の権利を有した。彼らは米国の下院上院を参照した二院制議会選挙で構成し、共和国の土地で働くことで製の代用通貨を得ることができた。問題は裁判所および警察類似の組織によって対処され、必要に応じて独自の監獄に送致されることもあった[12]

このモデルに基づき、米国および他国で数百の子供共和国が設立された。その一つであるフォード共和国では、ホーマー・レインがジョージ子供共和国より教育的に支援的で多くの点で穏健なモデルを発展させ、のちにこの概念をイングランドへ移し、A・S・ニイルとそのサマーヒル・スクールに影響を与えた[12]

Thumb
サマーヒルスクール

1921年、サマーヒル・スクールは寄宿学校として創設され、ほぼすべての学校事項において生徒と教師が同等の投票権を有する最初の学校となった[17]

1912年、ヤヌシュ・コルチャックワルシャワユダヤ人孤児院ドム・シェロトを設立し、同院は民主的な運営を行った。1940年、同院はワルシャワ・ゲットーへの移転を余儀なくされ、1942年、コルチャックは被保護児全員とともにトレブリンカ絶滅収容所で亡くなった[18][19][20]

コルチャックは多数の著作を刊行し、ラジオ番組を持ち[21]、孤児院ドム・シェロトとともに大きな報道の注目を集めた[22]。彼の子供の権利の擁護は民主的教育の方向性を示し、児童の権利運動および子供観・養育・保育に対する社会的認識に影響を与えた[23]

オルタナティブ・フリースクール

フリースクール」と分類される学校と運動の定義は明確に画定されてこなかったため、フリースクール間には大きな多様性が存在する[24]

無政府主義者としてのレフ・トルストイは、教育を通じて下層階級の自由エンパワーメントを強調し、学校における自己組織化と自由の経験を重視した。歴史上最初のオルタナティブスクールは、おそらく彼がロシアヤースナヤ・ポリャーナで開いた農民児童のための学校である[25]

20世紀初頭、前期の教育実験や政治哲学(例:ジャン=ジャック・ルソー、ペスタロッチ)に部分的に影響を受けた進歩主義教育運動の第一波が到来し、伝統的学校に比して学生が教育と日常生活の自主性を大幅に持つ諸概念と学校が多数生まれた。これらの学校の一部は、学校内部の意思決定過程への児童の参加を認めた。

ヴェルクプラーツ子供共同体学校蘭語版は1926年、オランダビルトホーフェン英語版ケース・ブーカ英語版と妻のベアトリス・ブーカ英語版により創設された。その理念はクエーカー合意形成による意思決定に基づき、日々の校務に関して子供と教師が同等の発言権を持つことを意味する[26][27]。同校の生徒ヘーラルト・エンデンブルフはこの合意形成文化をさらに発展させ、ソシオクラシーのモデルを構築した[28]。のちにこれは主としてオランダにおいて、いわゆるソシオクラティック・スクール蘭語版に実装された[29][30]

フランシスコ・フェレール英語版フェレール運動英語版と呼ばれる運動の中で無政府主義の価値に基づくバルセロナ近代学校を創設し、これは世界各地に少なくとも100校の無政府主義系フリースクールを生む規範となった。多くはスペインラテンアメリカ、米国に所在したが、スペイン内戦での無政府主義勢力の敗北やその他の要因により多数が閉鎖された。その後、当時の生徒の一部は1960年代のフリースクール運動期の米国でオルタナティブスクールの設立に寄与した。フェレールは、現在も存続するスペイン・メリダの学校パイデイアにも影響を与えた。パイデイアは校内での生徒の自由を促進し、各学級が学ぶ内容を自ら決定し、規則制定への生徒参加を認める無政府主義系の学校である[31]

1960年代には、A・S・ニールのサマーヒル・スクールに関する著作、ジョージ・デニソン英語版の『子供達の生活』の発表、そして1970年代の一般的な進歩的気運に触発され、フリースクールの広範な運動が展開した。この運動は1980年代の保守的潮流の下で大きく退潮した[32]

多くのオルタナティブ・フリースクールは、厳密な意味で自らを「民主的学校」とは呼ばないものの、学習過程および学校運営における生徒の民主的参加を育んでいる[33]。他の影響力ある民主的学校として、数多くの派生校を生んだサドベリー・バレー・スクールと、初めて「民主的学校」の語を用いたハデラ民主学校英語版が挙げられる[34]

民主的学校

民主的学校は、オルタナティブ・フリースクールの一類型であり、学習の急進的自由と、日常の校務に関する事項における教師と生徒の(ほぼ)同等の参加を特徴とする[34]

職場環境における学習

アジャイル・ラーニングは一般に、アジャイル宣言に由来するソフトウェア工学アジャイル手法を学習過程に移転することを指す。主として企業内教育で用いられるが、大学や学校でも用いられる[35]。学習におけるヒエラルキーはゆるいまたは存在しないことが多く、学習環境内の意思決定はしばしば合意形成による集団的決定で行われる[35][36]

大学および成人教育プログラム

多くの西側諸国では、大学生は大学運営において代表権を有する。その影響力の程度は大きく異なり、シャイマー・グレート・ブックス・スクール英語版のようにほぼ対等な発言権を有する場合から、ドイツの多くの大学のようにほぼすべての大学機関で学生代表を選出する場合まで幅がある[37]。その他の例として、占拠工場労働者協同組合と結びついて生まれた、民主的かつ自主管理の民衆高校西語版アルゼンチンにある[38]

成人教育の例では、ドイツ・ベルリンベルリン成人教育学校独語版は、成人を対象に大学入学資格取得を準備する、民主的に運営される後期中等教育機関である。授業および出席は任意である[39]

公立学校における民主的教育

民主国家であっても政府は民主的教育を制度的に支援してきた経緯はないが、多くの民主国家の公立学校には、選挙で選ばれる生徒代表といった低水準の民主的代表制が存在する。さらに、初等中等教育においてより民主的な参加に焦点を当てた多様なプロジェクトや実験が展開されているが、これらはなお周縁的・実験的地位にとどまっていると見られる。例として、学級会、フランスの実験高校仏語版の一部(パリ実験高校英語版サン=ナゼール実験高校)が挙げられる[40]

その他

上記の文脈以外にも、受刑者の自己組織化[41]スカウト運動、自己組織化されたスポーツクラブ、自主管理のバンドや音楽グループ、保育学校幼稚園野外教育プログラムなど、部分的に民主的な組織形態が見られる。

Remove ads

原則

民主的学校は多様であるが、以下の二つの中核原則で定義できる[42]

  1. 民主的ガバナンス:学校コミュニティのすべての構成員が参加しうる会議
  2. 学習者の自律:生徒が自らの学習過程を管理する自律性

民主的ガバナンス

民主的ガバナンスは、子供を含むコミュニティ全体が、学習環境を規律づける各種の集団意思決定過程に積極的に参加することを意味する。この民主的運営には多様な形がある。多くの民主的学校や子供共和国では多数決が用いられる一方、アジャイルラーニングセンター、ソシオクラティック・スクール、民衆高校では合意形成による意思決定が用いられる[43][44]。集団的意思決定の対象は、小規模な事項から職員の任免、規則の制定・廃止、一般的支出、一日の構成に至るまで多岐にわたる。民主的学習環境の中には、全員出席を求める場合もあれば、任意参加のものもある[45]

生徒の自律

セレスタン・フレネマリア・モンテッソーリなどの代替教育がいつ・どのように・誰と学ぶかを学習者に委ねるのに対し、民主的教育は学習内容自体も学習者に委ねる。したがって、民主的教育環境では、授業やその他の教育活動への参加は任意である[46]

教授原理

各種の民主的学習環境において、学習者が自らの学習過程における自律性を保証・発展させるために実践されている教授原理には、次のようなものがある。

  • プロジェクト学習英語版:学習者は、複雑で現実味のある課題を中心に構成された探究過程を通じて学ぶ。学習者はテーマ・問い・目標を選び、最終成果物に至るまでプロジェクトを企画・創出する。この方法において、学習者は自らの学習の主人公となる。プロジェクトは個人またはグループで遂行しうる。
  • 委員会:学校空間の運営や、コミュニティの健康と維持に関わる定例的課題の遂行を助けるために編成されるチーム。通常、学校会議においてコミュニティのニーズに応じて設置される。
  • 研究会:学習者や教育者が提案するテーマに基づき編成される。探究したい質問や話題を扱い、各グループには通常、学習過程を案内するファシリテーターが置かれる。
  • 自己評価:学習者が、教育者と共同で定義した基準に基づき、自身の学習過程を評価する。
  • メンタリング:各学習者にメンターが付き、個別またはグループで面談を行う。面談では目標や志向に加え、学業成績のみならず、仲間・教育者・家族との関係に関する課題も扱う。
  • 学習ガイド英語版:教育者が作成し、学習者が校内外で使用する文書。自律的学習を支援し、概念理解、課題解決、読書、理論・実践の深化など、教授・学習過程の諸側面を促進することを目的とする。
  • アンスクーリング・自己主導学習:アンスクーリングは、学習者が選んだ活動を学びの主要手段とみなす非制度的学習である。学習者は遊び家庭内の責務・個人的関心と好奇心インターンシップ就労経験・旅行書物・選択科目・家族・メンター・社会的相互作用といった生活上の自然な経験を通じて学ぶ。自己主導教育は、活動が教育目的で意図的に選ばれたか否かにかかわらず、学習者の自ら選んだ活動および生活経験から生じる教育である[47]

伝統的教育と比較すると、進歩主義教育は指示への厳格な追随よりも探究的な学びを重視する。しかし、少なくとも一部の民主的学校では、一斉授業が依然として一般的な手法として用いられている[48]

Remove ads

理論

要約
視点

民主的教育の目標は、参加者、場所、利用可能な資源へのアクセスによって多様に変化する[49]。これは、教育目標が主として教職員によって定義され、学習共同体英語版が民主的に組織されていないことの多い伝統的教育とは異なる。

民主的教育を学際的に横断する統一的文献体系は存在しないが、以下の観点からの理論が提示されている。

認知理論

ジーン・レイヴ英語版は、機能主義心理学英語版に反対して、文化的認知について研究している社会人類学者である。レイヴにとって、学習とは特定の文脈における行為主体が経験する過程であり、一つの過程で獲得された技能や知識は、他の行為領域へ一般化できるとは限らず、また確実に移転できるわけでもない。彼女の主たる関心は、数学および数学教育にあった。

レイヴおよび状況学習を専門とする他の研究者が示唆するのは、社会の成員となるために一定の知識が必要であるという(デュルケム的)議論を越えて、学校で学ばれた知識は、他の実践文脈へ必ずしも移転できないということである。

ジョン・ロックは、子供は幼少期から推論が可能であると論じた。「子供と論理的推論を交わすことに言及するのは奇異に思われるかもしれない。だが、それこそが彼らと向き合う真の方法であると私は思わずにいられない。子どもは言語を理解するのと同様に早い段階で論理を理解し、もし観察が誤りでなければ、彼らは想像されるよりも早く理性的存在として扱われることを好むのだ」[50]。これに対しルソーは異を唱え、「大人は説得できるが、子供は無理だ」と述べた[51]

民主的教育は、人間は生得的に好奇心を備えており、自由な学びが子どもを有能な大人へと成長させることができるという考えに基づいている[52]

認知理論に基づく批判

人間成人期(おおむね25歳前後)まで完全には成熟しない[53]。したがって、10代の学習者が自己の教育に責任を負うことには不利がある可能性が指摘される。すなわち「若年の脳は急速に成長するシナプスと、なお結合が未形成の領域を併せ持つ。このため、10代は環境から影響を受けやすく、衝動的行動に陥りやすい」[54]

倫理

民主主義倫理的根拠に基づいて価値づけることができる[55]

文化理論

民主的教育は、「学校での学びは学校外の生活と連続していなければならない」こと、また、子供は自らの共同体ガバナンスと組織化に能動的に参加すべきであるという文化理論と整合的である[56]

狩猟採集社会に関する研究は、自由遊び英語版と探索が、社会の文化を子どもに伝える効果的な媒介であったことを示している[57]

ジョージ・デニソンによれば、民主的環境は社会的調整装置である。すなわち、友情を育む、敬意を醸成する、そして彼の言う「自然な権威」を維持するという私たちの欲求が、公正誠実、人当たりのよさ等の社会的に許容される行為を促す[58]

文化理論に基づく批判

子供は学校カリキュラム以外にも、テレビ広告宗教共同体・ガールスカウトボーイスカウト百科事典等、多くのものの影響を受ける。そのため、「どの学校にとっても最も重要な課題の一つは、青少年にこれら他の学習元の存在を自覚させ、それらを批判的に吟味する能力を育てることにある……無計画で非構造の環境に子供を放てば、彼らが何らかの意味で解放されると考えるのは全くの誤りである。むしろそうすることで、子供は宣伝屋の盲目的な力に委ねられてしまうのだ。彼らの主要な関心は、子供でも真理でも、社会の健全な未来でもない……」[59]

エミール・デュルケムは、未開社会から近代社会への移行が部分的には、社会の長老が自らの文化における最も本質的と見なされる要素を次世代に伝達するという意識的決断によって生じたと論じる。彼は、近代社会はきわめて複雑で、社会において個人が果たすべき役割が極めて多様であるため、社会的連帯英語版および彼の言う「世俗的道徳」を涵養するには、制度的な普通教育が不可欠であると結論づける[60]

政治理論

民主的教育には多様な政治的構成要素が存在する。ある著者は、その要素を社会的包摂と権利、意思決定への平等な参加、および成功への平等な支援だと述べた[61]。民主的教育研究所は次の政治的原則を掲げる。

民主的学校において生じる政治的社会化の様式は、熟議民主主義の理論と強く関連している。熟議民主主義の政治文化を論じるクラウス・オッフェとウルリッヒ・プロイスは、熟議民主主義が政治文化として生み出されるためには、「『教師』や『カリキュラム』という役割が欠落している、開かれた継続的学習過程が必要である。言い換えれば、何を学ぶかは、学習そのものの過程のなかで決定されねばならない」と主張する[63]

彼らによれば、熟議民主主義の政治文化とその制度は、「対話的に声を届ける形式」を一層促進し、「その枠組みは自由によって支えられ、その内部ではパターナリズムが、自律的に採用された自己パターナリズムに置き換えられ、テクノクラートエリート主義市民の有能で自己意識的な判断に置き換えられる」[64]

カリキュラム・管理・学校内の社会運営の水準において、民主的教育は本質的に、人々が自らの生活の根本的側面について「実質的な選択」を行えるようにすることを目的とし[65]、民主主義の内部で、かつ民主主義のために行われる[66]。それはまた、「教師と生徒が協働して、すべての人を含むようカリキュラムを再構成する過程」でありうる[67]。少なくとも一つの見解では、民主的教育は生徒に「自らの社会の意識的再生産に参加すること、ならびに意識的社会再生産」を教える[68]。この役割は、民主的教育が多様な場で実践され、多様な人々(「保護者、教師、公務員、一般市民」)によって行われることを要請する。このため、「民主的教育は、教えられるべき子どもからのみ始まるのではなく、その教師となる市民からも始まる」[69]

民主社会における生活への準備

民主的教育の「最も強固な政治的根拠」は、将来の市民性のために熟議英語版の徳を教えることである[70]。熟議民主主義の文献では、これは集団意思決定交渉、そして社会生活への実質的関与を伴う民主主義の発展に不可欠な社会的・制度的変化を満たすものとしてしばしば言及される[71]

公民教育

隠れたカリキュラムの概念は、権威主義的な環境で教えられるあらゆるものは、暗黙のうちに権威主義そのものを教えることになることを示唆する。したがって、公民教育が強制的な設定で教授される場合、それは民主主義を自ら掘り崩すことになる[72]民主的学校や子供共和国において一般的な見解は、民主主義は学習されるためにではなく、経験されることで学ばれるべきだ、というものである[73][74][75][76]。この主張は、レイヴによる文脈における認知の研究と整合的である。

他方、公民教育の必修授業を支持する一般的な見解は、民主的価値の継承には外部からの構造付与が必要である、というものである[77]。民主主義をいかに伝えるか、子どもをどの程度・どの早さで民主的に扱うべきかという議論は、生徒の声英語版若者の参加英語版若者のエンパワーメント英語版に関する諸文献で展開されている[78][79]

異なる批判として、教育を協働として描く標準的な進歩主義的ビジョンは、社会における権力の働きを過小評価しがちだというものがある。もし学習者が「民主主義を発展させる」のであれば、社会の非民主的側面を連帯をもって対峙・変革するための手段を与えられなければならない。この意味での民主主義は、特にデューイに帰される「意思決定への参加」のみならず、権力に対峙する能力を含む[80][81]

経済理論

民主的教育は、21世紀のビジネス・経営で重要になるいくつかの特徴を持つ。協働の拡大、分散型組織、急進的創造性が含まれる。[82]

カリキュラム理論

民主的学校には公式のカリキュラムがないが、各生徒が実際に行うことがそれぞれのカリキュラムと見なされうる[83]。デューイは[84]探究学習(生徒の問いと関心がカリキュラムを形づくる学習)の早期の提唱者であり、これは20世紀に標準化の容易さから優勢となった「工場モデル」教育と鋭く対照をなす。1980年代から1990年代にかけて探究学習は復興を見たが[85]21世紀の標準化運動英語版とそれに伴う学校改革英語版は、探究志向の民主的教育の試みの多くを圧殺した。スタンダード運動は読み書きの標準テスト英語版を重視し、科学的探究や芸術、クリティカル・リテラシーを軽視した。

民主的学校は、読み・書き・算数を成功した大人になるための真の基礎とはみなさない場合がある[86]。A・S・ニールは「算数なんてくそくらえだ」と述べた[87]。一方で、内発的動機が形成されれば人はやがて基礎(読み・書き・算数)を学ぶ、という信念に裏付けられている[88][89]

アレン・コシェワは[90]、小学5年生を対象に民主的教育と教師の役割との緊張関係に関する研究を行い、子供たちが民主的制度内において不当な影響力を用いて他者を動かし、集団的利益の獲得や少数派の利益保護に失敗することを発見した。彼は、学級会・サービスラーニング芸術活動・対人ケアの重視が、こうした課題の克服に繋がることを発見した。探究学習には困難が伴うが、カリキュラムに関して生徒に選択権を与えることで、生徒は民主主義を学ぶだけでなく、それを実践する機会を得ることができる。

Remove ads

具体的内容

遊び

民主的学校の顕著な特徴は遊びである。あらゆる年齢、とりわけ低学年の生徒は、多くの時間を遊びやゲームに費やすことが多い。遊びを制限・管理・誘導しようとするあらゆる試みは、実施前に民主的な承認を得なければならない[91]。遊びは学術的探究に匹敵する価値をもつ活動であり、しばしばそれ以上に価値が高いと見なされる。遊びは学習に不可欠であり、特に創造性の育成において重要とされる[92]

読み・書き・算数

読解への関心が芽生える年齢は子供によって幅がある[93]。進歩主義教育者は、読書の選択や作文の主題における生徒の選択権を重視する。さらに、ステファン・クラシェン[94]や民主的教育の支持者は、民主的教育の推進における図書館の役割を強調する。児童文学作家のジュディ・ブルームらは検閲を民主的教育に反するものとして批判してきたが[95]、「落ちこぼれ防止・競争的教育・コモンコア学習基準英語版」を掲げるアメリカ合衆国学校改革運動は、カリキュラムの厳格な管理を重視する。

Remove ads

研究

ホームスクールリソースセンターおよび民主的学校の生徒を調査した研究では、従来型学校の同世代と異なり加齢に伴う学習動機の低下を示さなかった[96]

イスラエルで行われた類似研究では、従来型学校で一般的に見られる理科への関心の低下が、民主的学校では生じなかったことが示された[97]

英国の元学校査察官デリー・ハンナムによる12校の研究は、民主的学校が学習動機と自己肯定感を高めることを示唆する[98]

米国のサドベリースクールの生徒に関する三つの研究は、大学成績およびキャリアについて高い成功を収めた。「自己責任、自己統制、学びへの持続的関心、民主的価値」を獲得したことが有利に働いたと報告している[99]

英国のサンズスクール英語版は 2013年の英国教育監査局英語版査察で総合評価「良」を獲得し、複数の側面で「優」と認定された。いずれの領域も「良」未満はなく、法定規制は全面的に遵守されていた。これは2010年の前回査察と同一の結果である。英国教育監査局は、意思決定への参加が「卓越した思慮深さと均衡ある議論の能力」を育むと観察した。良好な学業達成は「民主的構造の帰結」であり、個人の発達は「卓越」と評価された。査察官は生徒の行動に特に感銘を受け、「授業は相互敬意の雰囲気で行われ」「来訪者は関心をもって迎えられ、非の打ち所のない作法で応対された」と記した。

Remove ads

民主社会における教育

英国の貴族制から民主政への移行期に、マシュー・アーノルドは、民主主義時代にふさわしい教育の形を見定めるため、フランスほか諸国の大衆教育を調査した[100]。アーノルドは、「民主主義の精神」は「人間本性」の一部であり、「自己の本質を主張し、自己の存在を十分かつ自由に発展させようとする努力」に関わると記した[101]

産業化の時代、ジョン・デューイは、すべての子供に同一カリキュラムを与えるべきではないと主張した。『民主主義と教育英語版』において、彼は民主主義に基づく教育哲学を展開し、子供は教育の創出に能動的に関与し、民主主義を学ぶために民主主義を経験しなければならない一方で、責任ある大人へと成長するためには大人の指導を要すると論じた[102]

エイミー・ガットマンは『民主的教育』において、民主社会ではすべての人に子供の教育における役割があり、その役割は熟議民主主義を通じて合意されるのが最良であると論じる[103]

学術誌「民主主義と教育」は、民主的教育に関連する「概念的基盤、社会政策、制度構造、教授・学習実践」を探究し、「民主社会への能動的参加のために青少年を教育する」ことを民主的教育と定義する[104]

ヤコブ・ヘクト英語版は、民主的文化における生活のために準備する民主的教育こそが、今の民主国家に欠けている最後のピースなのだと主張する[105]

Remove ads

養成プログラム

イスラエル民主教育研究所とテルアビブのキブツィム教育・技術・芸術カレッジ英語版は協力し、教育学士および民主的教育専門資格を提供する。教育実習は一般校と民主的学校の双方で行われる[106]

ネットワーク

民主的教育を支えるネットワークは主として民主的学校の領域から生じたが、あらゆる領域における民主的教育を推進する。

  • オルタナティブ教育リソース機関:1989年発足。生徒主導・学習者中心の教育アプローチの創出を目的とする[107]
  • 国際民主的教育カンファレンス:1993年に第1回開催。
  • オーストラリア民主的教育共同体:2002年に第1回会議を開催[108]
  • 欧州民主的教育共同体英語版:2008年、第1回欧州民主教育会議にて設立。
  • ケベック民主的学校ネットワーク(RÉDAQ):2012年設立。カナダ・ケベック州で民主的学校の設立を支援。
  • 自己主導教育同盟:2016年発足。自己主導教育をすべての家族にとって通常かつアクセス可能な選択肢にすることを目的とする[109]
  • デモクラシーマターズ:2009年発足。英国の連合組織で、市民性・参加・実践的政治のための教育を推進[110]

国際民主的教育カンファレンス2005は、二つの中核的信念として自己決定と民主的ガバナンスを掲げた[111]。欧州民主的教育共同体もこれら二つを信条とし、さらに相互尊重を明記する[112]

Remove ads

法的論点

国際法

国連の合意文書は、民主的教育を含む教育選択を支持すると同時に制約も課す。

世界人権宣言第26条3項は、「父母は、その子に与えられる教育の種類を選択する第一の権利を有する」と定める[113]。これは父母が民主的教育を選択する権利を包含しうる一方、児童の権利に関する条約 第28条・第29条は、教育課程に要件を課す。すなわち、初等教育は義務であり、各児童のあらゆる側面を最大限に発達させ、国家的価値や自然環境への尊重を含む教育を、諸民族間の友好精神の下で提供しなければならない[114]

さらに、同条約第12条1項は、児童が自らに影響するすべての事項について意見表明できることを義務づけるが、その意見の重みは「児童の年齢および成熟度に応じた相当な重み」にとどまる[115]

脚注・出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads