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水無瀬兼俊
水無瀬家15代。従二位・権中納言。子に兼祐(-1692.3.2、山井、治部大輔、従五位上)、数馬(内藤紀伊守家臣)、通悊(-1680.7.10、建仁寺永源庵)、季具、師氏、長成(仕鷹司家、後住水無瀬 ウィキペディアから
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水無瀬 兼俊(みなせ かねとし)は、江戸時代の公家、公卿。権中納言。
生涯
文禄2年(1593年)9月1日、権中納言である水無瀬氏成とその正室である高倉永相の娘の子として生まれる[2]。
寛永5年1月6日(1628年2月10日)、叙従三位[3]、寛永17年(1640年)に従二位[1]。
筆跡は『慶安手鑑』に見られる[4]。
系譜
脚注
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