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水無瀬氏成

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水無瀬 氏成(みなせ うじなり)は、戦国時代から江戸時代公卿正二位権中納言[1]

概要 凡例水無瀬 氏成, 時代 ...

生涯

元亀2年(1571年)10月27日、水無瀬兼成の嫡子として誕生する。

だが、兼成が高倉永家の四男・親具をすでに養子としていたため、その跡目をめぐって争いが起きた。結局、親具は水無瀬家を去り、別家となる堀河家を立ち上げた。

慶長12年(1607年)正月6日、従三位に叙される[1]

寛永19年(1642年)10月22日、出家し、是空と号す。

寛永21(1644年)9月17日、死去。享年74(満72歳没)

人物

歌人として、『詠富士和歌』『水無瀬富士百首』などを詠んだ。また、著書『和歌当務抄』『隠岐記』を残している。

脚注

関連項目

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