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水野忠誠
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水野 忠誠(みずの ただのぶ)は、江戸時代末期の大名、老中。駿河国沼津藩第7代藩主。沼津藩水野家14代。
生涯
天保5年(1834年)7月25日生まれ。幼名は惣兵衛。岡崎藩主本多忠考の四男。沼津藩主水野忠寛の養子となり、忠寛の隠居にともない家督を相続し、老中に進む。幕府は第二次長州征討の総大将に尾張藩主徳川慶勝を任命したが、慶勝が固辞したため、忠誠が総大将に任命された。しかし、征討の準備中であった慶応2年(1866年)9月14日、忠誠は沼津城中で急死した(表向きには10月28日死去とされた)。跡を養子の忠敬が継いだ。
経歴
系譜
父母
養子
- 水野忠敬 ー 水野忠明の次男
外部リンク
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