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永井"ホトケ"隆
日本のブルース歌手、ギタリスト (1950 - ) ウィキペディアから
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永井"ホトケ"隆(ながい ほとけ たかし、1950年10月24日[1] - ) は、三重県松阪市生まれ[2]の歌手、ギタリスト。
来歴
要約
視点
1950年10月6日、三重県松阪市に生まれる。中学から高校時代にかけ、ビートルズやローリング・ストーンズを始めブリティッシュ系を中心としたロックに親しむ。高校に入ると、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズらジャズも聴くようになった[1]。
1970年、同志社大学に進学。大学のサークルで知り合った小堀正(ベース)とロック・バンドを結成。塩次伸二(ギター)ともバンド活動をするようになった。翌1971年、NHKで放映されたBBC制作のドキュメンタリー番組「黒人の魂-ブルース」(原題:Chicago Blues)を見て衝撃を受け、黒人によるブルースに強く興味を持つ。
1972年、小堀、塩次に加え、山岸潤史(ギター)、松本照夫(ドラムス)とともに京都でウエスト・ロード・ブルース・バンド(以下、ウエスト・ロード)を結成した[2]。ミドルネームの「ホトケ」はウエスト・ロードにまだ名前がなかった頃、小堀の実家が仏具店を営んでいたことから、バンド名として浮上したもののそれは採用されず、いつの間にか永井のあだ名として定着したものだという[3]。
翌1973年に東京のライヴ・ハウスMagazine#1/2で同店にレギュラー出演していたウィーピング・ハープ・セノウ、レイジー・キム・ブルース・バンドとライヴ・アルバム『Live In Magazine No.1/2』をレコーディング。これが、ウエスト・ロードのレコーディング・デビューとなった[1]。
ウエスト・ロードは3枚のアルバムをリリースした後、1977年の高円寺JIROKICHI公演を最後に解散する[1]。同年、ファッツ・ドミノがやっていた楽曲「My Blue Heaven」の名前が由来となった新バンド、ブルー・ヘヴンを吾妻光良らと結成。同バンドでは『Blue Heaven Live』(1980年)、『Big Boss Man』(1982年)とリリースを重ねた[4]。尚、吾妻は1作目のライヴ・アルバムリリース後に脱退しており、後任として小出斉が参加している。ライヴ・アルバムでは、吾妻、小出2人のギターを聴くことができる[4]。
1984年、ウエスト・ロードがオリジナル・メンバーで再結成。新作『Junction』をリリースした。1995年にはウエスト・ロードはニューヨークのライヴ・ハウス、トランプスで公演。同年、その模様がライヴ・アルバム『Live In New York』として発売された[1]。
ソロ・アーティストとしては1995年に『Night People』、翌1996年『Fool’s Paradise』と立て続けにアルバムを発表している[1]。
1997年、ブルース初心者のために書き下ろしたエッセイ集『ブルーズ・パラダイス』を出版した[5]。
1998年、元四人囃子の森園勝敏らとtRICK bAG結成。2000年に『Last Exit』をリリースしている[1]。バンド名は、ニューオーリンズのR&Bアーティスト、アール・キングの楽曲名に由来している[1]。
2006年、近藤房之助のバンドのギタリストだった浅野祥之の申し出により、彼とデュオで活動を開始。そこにドラマーの沼澤尚が加わり、Blues Powerというバンドとなった。2007年、Blues Powerの1作目のアルバム『This Is The Blues Power』がリリースとなるものの、リリース日に浅野が肺炎により急逝する[6]。浅野のブルースへの思いから実現したバンドだっただけに、永井はやる気を失ったものの、故人の遺志を継ぐべく新たに中條卓(ベース)とKOTEZ(ハーモニカ)をメンバーに迎え、blues.the-butcher-590213とのバンド名で活動を継続することを決定した。「ブッチャー」は浅野のニックネーム、「590213」は彼の誕生日である[1]。以後、blues.the-butcher-590213は15年以上に渡って活動を続け、永井のキャリアでも最も息の長いバンドとなっている[6]。2024年現在、バンド名義のアルバムは10枚を数えている。
2007年より、永井は青森県弘前市のコミュニティーFM局FMアップルウェーブをキーステーションにしたラジオ番組「BLUES POWER」のDJを務めている。この番組の雰囲気を再現した語り入りコンピレーション・アルバムも2枚リリースとなっている[7][8]。
2024年、永井はウエスト・ロード時代からの盟友、山岸潤史とデュオでアルバム『... still in love with the Blues』をリリース[9]。原点に帰ったシンプルなブルース作となった。同じく古くからの盟友であるサウス・トゥ・サウスの上田正樹も2曲でゲスト参加している[9]。
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ディスコグラフィー
ソロ作
ウエスト・ロード・ブルース・バンド
- 1975年 『Blues Power』 (徳間Bourbon)
- 1975年 『Live in Kyoto』 (徳間Bourbon)
- 1984年 『Junction』 (Invitation)
- 1995年 『Live in New York』 (ZAIN)
- 2005年 『ゴールデン☆ベスト』 (徳間ジャパン) ベスト盤
ブルー・ヘヴン
- 1980年 『Blue Heaven Live』 (Deadball)
- 1982年 『Big Boss Man』 (Deadball)
tRICK bAG
- 2000年 『Last Exit』 (ZAIN)
Blues Power
- 2007年 『This Is The Blues Power』 (Pヴァイン)
blues.the-butcher-590213
- 2008年 『Spoonful』 (Pヴァイン)
- 2009年 『Mojo Boogie』 (Pヴァイン)
- 2008年 『Rockin’with Monsieur』 (Pヴァイン) ※ムッシュかまやつとの共演
- 2011年 『Voo Doo Music』 (Pヴァイン)
- 2013年 『The Sure Shot Live』 (Pヴァイン) ※ジェイムズ・ギャドソンとの共演
- 2014年 『In The Basement』 (Pヴァイン)
- 2016年 『Three O'Clock Blues』 (Pヴァイン)
- 2017年 『Rockin' And Rollin'』 (Pヴァイン) ※うつみようことの共演
- 2019年 『Blues Before Sunrise』 (Pヴァイン) ※うつみようことの共演
- 2023年 『Feel Like Going Home』 (Pヴァイン)
その他
- 2014年 『Hotoke's Blues Power Radio Hour』 (Pヴァイン)
- 2018年 『Hotoke's Blues Power Radio Hour-10th Anniversary』 (Pヴァイン)
著書
- 1997年 『ブルーズ・パラダイス』 (中央アート出版)
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脚注
外部リンク
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