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永福寺跡

神奈川県鎌倉市にある寺院跡 ウィキペディアから

永福寺跡
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永福寺跡(ようふくじあと[1])は、神奈川県鎌倉市二階堂(旧:鎌倉郡二階堂村)にある寺院跡。鎌倉時代初期に源頼朝中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。2階建ての仏堂であった事から二階堂とも称された。寺跡は国の史跡に指定されている[2]。また世界遺産候補となっている武家の古都・鎌倉の構成資産のひとつ。

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永福寺跡
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永福寺跡の看板

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永福寺跡
永福寺跡
位置
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地図

歴史

源頼朝は1189年文治5年)9月の奥州合戦を契機に、数多の戦を供養源義経藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊英霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。造立責任者は造立奉行工藤行政、作事奉行・作所別当八田知家(政所の下部組織『作所』作所別当は八田知家、「於二作事奉行人一者、如二材木一為二用意一」(出典:吾妻鏡‐建久元年(1190)七月二七日))また勝長寿院の作事奉行も務める。建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。1192年建久3年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。

1405年応永12年)に火災に遭い[3]、のちに廃絶した。

調査

1983年昭和58年)から開始された発掘調査で、北方から流れ込む谷川を水源とする南北200メートル、東西40 - 70メートルの苑池を中心とした浄土庭園の西岸に、二階大堂(釈迦如来)を中心に南北に阿弥陀堂阿弥陀如来)、薬師堂薬師如来)の翼廊を従えた中心伽藍が確認された。このことから、伽藍全体の空間構成は無量光院をモデルにしたと考えられる[4]

現在、永福寺跡周辺が「二階堂」と呼ばれているのも、この建物が由来となっている[5]

復元

長らくススキが生える湿地となっていたが、史跡指定翌年の1967年(昭和43年)度から土地の公有化を進め、2007年平成19年)以降復元整備工事に着手し、2017年(平成29年)6月、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇(基礎)と苑池の復元が完了し、公開された。

発掘データをもとに、CGによる復元も試みられている[6][7]鎌倉市湘南工科大学との 協働[8][9]

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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