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武家の古都・鎌倉
神奈川県の世界遺産暫定リスト掲載物件 ウィキペディアから
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「武家の古都・鎌倉」(ぶけのこと・かまくら、英語: Kamakura, Home of the SAMURAI)とは[1]、神奈川県鎌倉市・横浜市・逗子市に残る歴史的建造物群を対象とする世界遺産暫定リスト掲載物件である。

日本が世界遺産条約を批准した1992年(平成4年)に、暫定リストに登録された。この年に暫定リストに記載された日本の物件12件(文化遺産10件、自然遺産2件)で世界遺産リストに正式登録されていないのは、この物件のほかには「彦根城」があるだけである。
日本国政府がUNESCOの世界遺産センターに1992年に提出した時点での名称は「古都鎌倉の寺院・神社ほか」(英語: Temples, Shrines and other structures of Ancient Kamakura)だったが[2]、推薦書案の練り直しの中で現在の名称になった。
2013年(平成25年)4月30日、世界遺産の諮問機関であるイコモスによって、世界遺産への「不登録」を勧告された[3]。日本が単独で推薦した物件では、4段階の勧告の中で最も下の「不登録」が勧告されたのは初めてであり[4]、この勧告を受けて日本の関係省庁連絡会議では同年6月4日付けで、世界遺産委員会への推薦取り下げを正式決定した[5]。
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歴史
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推薦理由
日本国政府は、鎌倉が最初の武家政権であるとともに、江戸と並ぶ武士によって築かれた都市であること、江戸が東京となって往時の姿を失ったのに対して、鎌倉にはかつての景観が残っていることなどから、暫定リストに加えている[2]。
日本国政府が1992年に世界遺産センターに提出した文書では、この物件が世界遺産の登録基準のうち、以下の項目を満たしていると主張していた[2]。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
しかし、2009年から2010年にかけて3度にわたって行われた国際専門家会議では、特に基準 (3) と (4) を強調すべきと助言され、実際に2011年9月にユネスコに提出された推薦書の暫定版では、その線に沿って記載されている[6]。
基準(3) は、その後、明治時代の開始まで続く武家政権の成立と、彼らが生み出した武家文化を伝える例証であることに、基準 (4) は三方を山に囲まれた防衛重視の立地のもと、独自の都市景観と宗教景観が生み出されたことに、それぞれ適用できるとされている[7]。
さらに文化庁文化審議会の資料では、古都、宗教建築、防衛施設などの観点で、国内のすでに世界遺産リストに登録されている物件(古都奈良の文化財・厳島神社・姫路城など)と比較を行い、最初から防衛的観点を重視して建設され、さらにその狭隘な土地に適応するために独自の景観が生み出された例はないとしている。また、武士に対応する階級としてヨーロッパの騎士やイスラームのマムルーク、あるいは中央アジアの遊牧民などまで視野に入れ、それらの存在が関わる外国の世界遺産32件と比較を行なった上でも、鎌倉の独自性が認められるとした[8]。
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推薦対象
2011年9月にユネスコに提出された推薦書の暫定版に記載されている構成資産は以下の10資産である[6]。三方を山に囲まれている地形を唯一の構成資産とし、点在する寺社や遺跡をそれらが属する山稜や海浜とまとめて一つの資産としている。朝夷奈切通の一部と称名寺が横浜市、名越切通の一部と和賀江嶋の一部が逗子市に含まれるのを除けば、すべて鎌倉市に属している。
- 構成資産1(山稜部)
- 構成資産2(山稜部)
- 構成資産3(山稜部)
- 構成資産4(山稜部)
- 構成資産5(山稜部)
- 構成資産6(山稜部)
- 構成資産7(山稜部)
- 構成資産8(山稜部)
- 構成資産9(山稜部)
- 構成資産10(海浜部)
保護
登録・推薦を巡る動き
要約
視点
推薦から取り下げまで
日本が世界遺産条約を批准した1992年に、暫定リストに登録された12件(文化遺産10件、自然遺産2件)のうちの一つである。同じ年に登録された古都京都の文化財、日光の社寺、1995年に暫定リストに追加された原爆ドーム、2001年に暫定リストに追加された紀伊山地の霊場と参詣道、平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―などが次々と正式登録されていく中で、鎌倉が世界遺産委員会に推薦されたことはなかった。「武家の都」という点は奈良・京都などと差別化を図りうるものではあるが、構成資産が神社、寺院を主体とし、鎌倉幕府の政治的建造物がほとんど残っていない点などを理由として、推薦された場合の苦戦を予想する意見が見られた[9]。
鎌倉市には2001年に「鎌倉市歴史遺産検討委員会」が設置され、2007年には「神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市世界遺産登録推進委員会」が共同で設置されるなど、世界遺産登録の実現に向けて、市や県のレベルで具体化の動きが進められてきた[10]。一方、2007年11月に神奈川県から派遣された鎌倉市職員が世界遺産登録にむけた動きの中で、公文書偽造事件を起こしたこともあった[11]。
文化審議会に2011年2月に提出された報告書では、2011年9月の推薦を目指すタイムスケジュールも示されており、実際に2013年の登録を目指して富士山とともに推薦されることになった[12]。
それを踏まえて実際に、2012年1月に推薦書が世界遺産センターに提出され、同年9月24日から27日に諮問機関であるICOMOSの調査団が訪れた[13]。その調査を踏まえた勧告が2013年4月30日に示され、「不登録」と判断された。日本が単独で推薦した資産で「不登録」勧告を受けた例は初めてである[14](複数国の推薦ではル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―の例がある)。ICOMOSが不登録とした理由は、当時の都市計画や経済生活などを示す資産が含まれておらず、完全性の条件が満たされていないため、基準 (3) についても基準 (4) についても、証明ができていないと判定されたことによる[15]。
この勧告を受けて日本の関係省庁連絡会議では同年6月4日付けで、世界遺産委員会への推薦取り下げを正式決定した[5]。これは、再推薦が不可能になる委員会での「不登録」決議を回避し、抜本的な推薦文書の練り直しを踏まえて再推薦したいとする地元自治体などの意向を踏まえたものである[16]。
推薦取り下げ後の動向
2013年、ユネスコ大使や文化庁長官を歴任した近藤誠一が鎌倉で講演を行い、「建造物や史跡を紡いだ(文化財の)集合体ではなく、鎌倉を歴史地区という視点で俯瞰し、鎌倉時代以降の歴史や文化を複合的に見てみるのも一つの手法ではないか」と指摘した[17]。
2017年には、中国や韓国での視察調査も行ってきた鎌倉文化遺産比較研究委員会が類似物件の比較研究成果として、「中国南宋五山との交流で導入された建長寺の伽藍配置は日本の禅宗寺院の伽藍配置の基本になり現在も踏襲されている」「鶴岡八幡宮は都城であれば大内裏(宮殿)の位置にあるがそこに幕府は置かれず、都市の中心軸に祭祀性を持つような都市計画は類例がない」など、ユネスコが重視する国際交流視点を含む新たな価値を提示したほか、「"武家の古都"というタイトルのイメージは古都そのものだが、中身を見ると周辺の山と寺ばかりで街部分が抜け落ちている」として"武家の古都"というタイトルを改める必要性も示唆した[18]。

また、推薦取り下げを受け、その支援事業として『日本遺産制度』が創設され、2016年に「”いざ、鎌倉” ~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」として認定された。だが、2022年(令和4年)に文化庁が日本遺産の運営状況を確認する定期監査を行った結果、観光客数や観光消費額が目標値に達しないことに加え、「日本遺産を通じた地域活性化や観光の振興を図る土台の整備などが十分実施できていない」として、3年後に再審査を受ける「条件付き認定」で延長措置となったが、2025年になっても状況が改善されていないことに認定取り消しも示唆した[19]。
しかし、不登録勧告内容を是正するためのコンセプト修正には相当な時間を要するため、2019年11月に神奈川県と鎌倉市・横浜市・逗子市が文化庁に提出する世界遺産推薦書(原案)の作成活動を同年度限りで休止すると発表した。規模は縮小するが基礎研究と文化財調査および整備事業は継続し、世界遺産登録は諦めない方針も明らかにされた[20]。
一方、文化審議会は一定期間(5年間程度)世界遺産登録に向けた活動実績が無い物件を有する自治体に対して継続か断念するかの意思を確認し、暫定リストからの削除も検討する方針も示しおり、鎌倉は推薦書原案作成という主たる活動の停止から5年以上経過している[21]。
鎌倉市と逗子市は世界遺産登録の意思を有していることを喧伝すべく、改めて世界遺産を目指す上でのコンセプトづくりの一環として近年の世界遺産登録の傾向を分析しており、そこで得られた方向性を紹介するセミナーを2025年11月16日に開催(於:逗子市)。それによると、「“最近はストーリー性や関連する無形要素も求められるため、鎌倉という特定の時代や場所から裾野を広げる必要がある”とした上で、《室町時代に鎌倉府(鎌倉公方)が置かれ引き続き東国支配の拠点として存立し、それは守旧派監視目的のみならず、京都の室町幕府に対し実質的な二元拠点・副都的な役割が与えられていた意味を再考する(但し鎌倉府などの史跡は残されていない)》《鎌倉時代の建造物が無く殆どが江戸時代の再建であるのも、徳川家康が頼朝を尊敬したため徳川将軍家によりゆかりの寺社が復興、そのことで江戸庶民による鎌倉観光が流行したことは現在に至る鎌倉人気に繋がるもので、大局的な歴史の流れや民衆史の視点も採り入れる》《構成資産候補に寺が多いことに関しては、禅宗が武士の精神的支柱であり、武家社会の規範を示すなど単なる宗教施設の以上の存在意義があったことを掘り下げて説明する必要がある》《鎌倉という一地域に固執せず、“いざ鎌倉”のために整備された近縁の鎌倉街道の顕彰なども視野に入れるべき》」とした[22]。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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